第4の哨戒 1945年1月 - 2月・喪失とは? わかりやすく解説

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第4の哨戒 1945年1月 - 2月・喪失

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 19:24 UTC 版)

バーベル (SS-316)」の記事における「第4の哨戒 1945年1月 - 2月・喪失」の解説

1945年1月5日バーベル4回目の哨戒南シナ海向かった1月8日オーストラリア北西部エクスマス湾で燃料補給した後、ロンボク海峡からジャワ海カリマタ海峡経由して南シナ海入った1月27日バーベル司令部からパーチ (USS Perch, SS-313)、ガビラン (USS Gabilan, SS-252) とウルフパック構成しバラバク海峡西方入り口パラワン水道南方入り口哨戒するよう命令受けた2月3日バーベル近在僚艦ツナ (USS Tuna, SS-203)、ブラックフィン (USS Blackfin, SS-322) に対して、「敵機爆雷攻撃3回受けており、翌日夜に詳細報告する」との通信行ったその後バーベルからの音信無かったツナ消息を絶ったバーベル会合するよう司令を受けたが、期限2月7日バーベルを姿を現さず、会合できなかった。バーベル1945年2月16日喪失したことが公式に報告された。 日本側の記録である『765空飛行機戦闘行動調書』では、2月4日7時過ぎにバラバク海峡哨戒のためにラブアン島発進した天山が、8時45分と9時にパラワン島南西沖で潜水艦への攻撃行ったことを報告した。2個の爆弾投下し1発が潜水艦艦橋直下命中し潜水艦爆炎包まれ大型潜水艦一隻撃沈報じた。おそらくこれがバーベル最期だと思われる。その前に1月31日に2回、2月1日2月2日に各1回2月3日に2回と、計6回もの対潜攻撃記録されており、これはバーベルからの「敵機爆雷攻撃3回受けており」という通信いずれかに相当するもの考えられている。 バーベル第二次世界大戦戦功で3個の従軍星章受章したまた、4回の哨戒行ない合計7隻の日本の船沈め、その総トン数15,486トン上った

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