第4の哨戒 1945年1月 - 2月・喪失
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「バーベル (SS-316)」の記事における「第4の哨戒 1945年1月 - 2月・喪失」の解説
1945年1月5日、バーベルは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。1月8日、オーストラリア北西部のエクスマス湾で燃料を補給した後、ロンボク海峡からジャワ海、カリマタ海峡を経由して南シナ海に入った。1月27日、バーベルは司令部からパーチ (USS Perch, SS-313)、ガビラン (USS Gabilan, SS-252) とウルフパックを構成し、バラバク海峡西方入り口とパラワン水道南方入り口を哨戒するよう命令を受けた。2月3日、バーベルは近在の僚艦ツナ (USS Tuna, SS-203)、ブラックフィン (USS Blackfin, SS-322) に対して、「敵機の爆雷攻撃を3回受けており、翌日の夜に詳細を報告する」との通信を行った。その後、バーベルからの音信は無かった。ツナは消息を絶ったバーベルと会合するよう司令を受けたが、期限の2月7日にバーベルを姿を現さず、会合できなかった。バーベルは1945年2月16日に喪失したことが公式に報告された。 日本側の記録である『765空飛行機隊戦闘行動調書』では、2月4日朝7時過ぎにバラバク海峡哨戒のためにラブアン島を発進した天山が、8時45分と9時にパラワン島南西沖で潜水艦への攻撃を行ったことを報告した。2個の爆弾を投下し1発が潜水艦の艦橋直下に命中し、潜水艦は爆炎に包まれ、大型潜水艦一隻撃沈を報じた。おそらくこれがバーベルの最期だと思われる。その前にも1月31日に2回、2月1日と2月2日に各1回、2月3日に2回と、計6回もの対潜攻撃が記録されており、これはバーベルからの「敵機の爆雷攻撃を3回受けており」という通信のいずれかに相当するものと考えられている。 バーベルは第二次世界大戦の戦功で3個の従軍星章を受章した。また、4回の哨戒を行ない合計7隻の日本の船を沈め、その総トン数は15,486トンに上った。
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