第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間の意味・解説 

第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 18:31 UTC 版)

ダーター (SS-227)」の記事における「第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間」の解説

9月1日ダーター4回目の哨戒南シナ海向かったトレス海峡抜け9月10日給油修理のためダーウィン寄港した給油後、セレベス海哨戒その後一旦哨戒海域離れ9月27日前進根拠地であるミオス・ウンディ島寄港し給油整備行った整備終了後合流したデイスとともに出港し10月5日シブツ海峡を、10月7日ミンドロ島南方海域それぞれ通過して哨戒海域であるパラワン水道進出したダーターデイス担当海域哨戒船団攻撃などを実施10月12日ダーター北緯0840東経11642分 / 北緯8.667度 東経116.700度 / 8.667; 116.700の地点輸送船団発見し魚雷を4本発射して3本を2隻のタンカー命中させたと判断される10月14日には、デイスがミ19船団発見して攻撃し応急タンカー日鉄丸(日産汽船、5,993トン撃沈輸送船永享丸(日本郵船、6,948トン)および大善丸(大阪商船、5,396トン大破戦果をあげた。ダーターデイスからの報告でミ19船団接近していったが、発見することが出来なかった。10月19日にも、北緯0909東経11703分 / 北緯9.150度 東経117.050度 / 9.150; 117.050の地点で「吹雪型駆逐艦に対して魚雷を4本発射したが、命中しなかった。 この頃10月20日レイテ島対す上陸作戦開始されるので、司令部からダーターデイス含めたフィリピン近辺のほぼすべての潜水艦キングII作戦計画基づいて支援命じられ、特に日本艦隊動き注視するよう指令出された。ダーターデイス引き続きパラワン水道バラバク海峡間の海域哨戒続けた

※この「第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間」の解説は、「ダーター (SS-227)」の解説の一部です。
「第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間」を含む「ダーター (SS-227)」の記事については、「ダーター (SS-227)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間」の関連用語

第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第4の哨戒 1944年9月 - 10月・ダーター最後の5日間のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのダーター (SS-227) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS