第4の哨戒 1943年9月 - 10月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第4の哨戒 1943年9月 - 10月の意味・解説 

第4の哨戒 1943年9月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 20:29 UTC 版)

スキャンプ (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年9月 - 10月」の解説

9月2日スキャンプ4回目の哨戒ビスマルク諸島方面向かった9月7日ツラギ島寄港し燃料補給ののちその日のうちに出港する9月18日午前スキャンプ北緯0103東経14627分 / 北緯1.050度 東経146.450度 / 1.050; 146.450のマヌス島北西400キロ地点で、ラバウルからパラオ向かっていたオ602A船団発見した魚雷を計10発射し陸軍輸送船関西丸(原田汽船、8,618トン)に命中させてを航行不能に陥らせた。関西丸に陸軍部隊1,024名が乗船していたが、犠牲者24名以外は僚船陸軍特殊船摩耶山丸三井船舶、9,433トン)に移乗し関西丸は無人となって漂流した護衛の第38号駆潜艇爆雷攻撃行い深度96メートル海底にいたスキャンプ爆雷攻撃により浸水火災発生し一時復旧のめどすら立たなかった。しかし、なんとか修理行い浮上すると、関西丸がまだ浮いていたので、魚雷を1本発射して命中させ、北緯0025東経14621分 / 北緯0.417度 東経146.350度 / 0.417; 146.350の地点でようやく撃沈したスキャンプは、関西丸の名前を漂流していた浮き輪によって知った9月21日には、物々しい輸送船団発見したレーダー巧みに接敵し、日没時魚雷3本発射2つ爆発音聞こえ、「6,500トン輸送船撃沈」と判断される二度目攻撃スコールにより一度機会逸したものの、翌22日午前魚雷を4本発射したが、すべて外れた追跡攻撃9月23日にも続き三度目攻撃魚雷を4本発射し、さらに攻撃加えようとしたが、上空にいた航空機妨害受けて攻撃諦めざるを得なかった。一連の攻撃により成果は分からなかった。スキャンプ9月24日帰投命令受領10月1日スキャンプ30日間行動終えてブリスベン帰投した。

※この「第4の哨戒 1943年9月 - 10月」の解説は、「スキャンプ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4の哨戒 1943年9月 - 10月」を含む「スキャンプ (潜水艦)」の記事については、「スキャンプ (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第4の哨戒 1943年9月 - 10月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第4の哨戒 1943年9月 - 10月」の関連用語

第4の哨戒 1943年9月 - 10月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第4の哨戒 1943年9月 - 10月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスキャンプ (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS