第4の哨戒 1943年9月 - 10月
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「スキャンプ (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1943年9月 - 10月」の解説
9月2日、スキャンプは4回目の哨戒でビスマルク諸島方面に向かった。9月7日にツラギ島に寄港し、燃料補給ののちその日のうちに出港する。9月18日午前、スキャンプは北緯01度03分 東経146度27分 / 北緯1.050度 東経146.450度 / 1.050; 146.450のマヌス島北西400キロ地点で、ラバウルからパラオに向かっていたオ602A船団を発見した。魚雷を計10本発射し、陸軍輸送船関西丸(原田汽船、8,618トン)に命中させてを航行不能に陥らせた。関西丸には陸軍部隊1,024名が乗船していたが、犠牲者24名以外は僚船の陸軍特殊船摩耶山丸(三井船舶、9,433トン)に移乗し、関西丸は無人となって漂流した。護衛の第38号駆潜艇が爆雷攻撃を行い、深度96メートルの海底にいたスキャンプは爆雷攻撃により浸水と火災が発生し、一時は復旧のめどすら立たなかった。しかし、なんとか修理を行い浮上すると、関西丸がまだ浮いていたので、魚雷を1本発射して命中させ、北緯00度25分 東経146度21分 / 北緯0.417度 東経146.350度 / 0.417; 146.350の地点でようやく撃沈した。スキャンプは、関西丸の名前を漂流していた浮き輪によって知った。9月21日には、物々しい輸送船団を発見した。レーダーで巧みに接敵し、日没時に魚雷を3本発射、2つの爆発音が聞こえ、「6,500トン級輸送船撃沈」と判断される。二度目の攻撃はスコールにより一度は機会を逸したものの、翌22日午前に魚雷を4本発射したが、すべて外れた。追跡と攻撃は9月23日にも続き、三度目の攻撃で魚雷を4本発射し、さらに攻撃を加えようとしたが、上空にいた航空機の妨害を受けて攻撃を諦めざるを得なかった。一連の攻撃により成果は分からなかった。スキャンプは9月24日に帰投命令を受領。10月1日、スキャンプは30日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
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