第4の哨戒 1944年7月 - 8月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:24 UTC 版)
「アスプロ (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1944年7月 - 8月」の解説
7月9日、アスプロは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。7月16日にダーウィンに寄港して給油した後、哨区に進んだ。7月19日、アスプロはルソン島西岸で4隻の中型貨物船と5隻の護衛艦からなる輸送船団を発見し、5時45分に魚雷を発射した。やがて爆発音が聞こえ、アスプロは1隻を撃沈し1隻に損害を与えたと判断したが、実際の戦果はなかった。7月28日、アスプロは北緯17度33分 東経120度21分 / 北緯17.550度 東経120.350度 / 17.550; 120.350の地点で、一週間前にこの地に座礁した特設砲艦北京丸(大連汽船、2,288トン)を発見した。アスプロは身動きが取れない北京丸に向けて魚雷を発射し、命中。3度の爆発に続いて、中央部から炎上し右舷側に倒れ、やがて全船が火に包まれた。1週間後、同じ場所を航行したアスプロは、喫水線あたりに2つの大きな穴を開けて残骸と化した北京丸を目撃した。その後、8月6日には2隻の貨物船を発見して10時15分に魚雷を発射。翌7日には12隻の輸送船団を攻撃し、発射した魚雷は大型貨物船に命中したと判断した。アスプロはこの哨戒で4隻19,500トンの戦果を挙げたと記録した。しかし、彼我の記録が合致したのは北京丸撃沈だけだった。8月18日、アスプロは41日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
※この「第4の哨戒 1944年7月 - 8月」の解説は、「アスプロ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4の哨戒 1944年7月 - 8月」を含む「アスプロ (潜水艦)」の記事については、「アスプロ (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第4の哨戒 1944年7月 - 8月のページへのリンク