第4の哨戒 1945年7月 - 8月
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「アトゥル (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1945年7月 - 8月」の解説
7月3日、アトゥルは4回目の哨戒でアーチャーフィッシュ (USS Archer-fish, SS-311) とともに日本近海に向かった。最初は日本南方で救助配備任務に就き、その後アーチャーフィッシュ、ガトーとともに北東海域に移動した。8月12日、アトゥルは北緯42度16分 東経142度12分 / 北緯42.267度 東経142.200度 / 42.267; 142.200の浦河沿岸で、釧路に向けて航行中の第6号海防艦と第16号海防艦を発見。付近は浅瀬が多く、また視界もよくなかったものの、アトゥルは2隻を重ねるように照準し魚雷を6本発射。魚雷の命中を受けた第6号海防艦は大爆発を起こし、無数の残骸を撒き散らした。第16号海防艦はレーダースクリーンから姿を消したが、沈没はしなかった。8月15日、日本は降伏。洋上でそのニュースを受け取ったアトゥルは真珠湾に向けて航行した。8月25日、アトゥルは51日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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