第4の哨戒 1942年12月 - 1943年1月
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「グリーンリング (潜水艦)」の記事における「第4の哨戒 1942年12月 - 1943年1月」の解説
12月9日、グリーンリングは4回目の哨戒でトラック諸島およびソロモン諸島方面に向かった。途中、ミリ環礁、マキン環礁近海を通過し、12月21日にブーゲンビル島沖の哨戒海域に到着。その夜、グリーンリングはレーダーでジグザグ航行する目標を探知。翌22日未明、グリーンリングは潜航して目標に接近し、タンカーと2隻の艦艇に対して魚雷を発射。魚雷は目標に命中した。グリーンリングは、この攻撃で撃沈したのは第35号哨戒艇だと判定されたが、当の第35号哨戒艇は、これより先の9月2日に航空機の攻撃により沈没していた。その後、グリーンリングはトラック近海に移動。12月30日夜に北緯00度34分 東経148度58分 / 北緯0.567度 東経148.967度 / 0.567; 148.967の地点で輸送船団を発見し、陸軍輸送船日照(ひてる)丸(日産汽船、5,857トン)を撃沈した。グリーンリングは他にもう1隻、4,000トン級貨物船の撃沈したと報告し、アメリカ側の記録では「隆福丸に損傷を与えた」とするが、ここで言う「隆福丸」とは日照丸の昔の船名である。年明けて1943年1月10日、グリーンリングは南緯01度09分 東経150度16分 / 南緯1.150度 東経150.267度 / -1.150; 150.267の地点でタンカーを二度にわたって攻撃したが、護衛艦艇に阻まれて最終的には退去した。カビエン近海に進出したグリーンリングは1月16日15時35分ごろ、南緯02度47分 東経149度10分 / 南緯2.783度 東経149.167度 / -2.783; 149.167のチンオン島西方海域で特設運送船金峰山丸(三井船舶、3,261トン)を発見し、魚雷を3本発射して2本を命中させて撃沈した。グリーンリングは攻撃後浮上し、付近を探査して浮遊物等を処分した他、遭難者に対して機銃掃射を行った。1月18日には南緯02度04分 東経150度37分 / 南緯2.067度 東経150.617度 / -2.067; 150.617の地点で特務艦宗谷を撃破(ただし宗谷はこの日別の海域で測量を行なっていた。日本側の記録では10日後の28日に宗谷が米潜の雷撃を受け、爆雷で反撃、撃退している)。1月19日にも南緯01度35分 東経150度57分 / 南緯1.583度 東経150.950度 / -1.583; 150.950の地点で陸軍輸送船神愛丸(岸本汽船、3,793トン)を撃破した。1月21日と22日にはアドミラルティ諸島中のパク島とトン島を偵察した。1月31日、グリーンリングは52日間の行動を終えてブリスベンに帰投。艦長がジェームズ・D・グラント少佐(アナポリス1930年組)に代わった。
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