第11巻から第14巻
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「シビュラの託宣」の記事における「第11巻から第14巻」の解説
第11巻から第14巻までは、後述するように19世紀になって再発見された。巻数は写本に書かれていたものがそのまま踏襲されているが、19世紀末のミルトン・テリーのように巻数を前倒しにして、順に第9巻から第12巻とする者もいた(テリーは括弧書きの形で写本の巻数も併記している)。なお、この記事でテリーの見解を紹介する際には、煩瑣になるのを避けるために一般的な巻数表記で統一している。 テリーは第11巻をエジプトのユダヤ人による2世紀初頭の作品、第12巻と第13巻を3世紀のキリスト教徒の作品、第14巻を著者・年代とも特定困難とし、『カトリック百科事典』(1913年)はそれらの4巻本を、ユダヤ教徒の作品にキリスト教徒が手直しする形で3世紀から4世紀頃に成立した作品としたが、現在ではいずれの巻もユダヤ教的(13巻のみキリスト教的とする見解もある)で、成立は7世紀まで、あるいは9世紀とする見解も提示されている。教父たちはこれらの書から何も引用しなかったが、それが直ちに彼らの時代に存在しなかったことを意味するわけではない。それらが引用されなかったのは、表明されている宗教思想が重要なものではなく、救世主や黙示文学的な要素がありきたりなものだったからとも考えられているためである。 それとも関係するが、第11巻以降は政治史的な事後予言の色彩が強いとも言われており、第11巻から第13巻までには終末論的色彩が希薄である。第14巻は、そこまでの政治史的な流れを締めくくるかのように、ありきたりな描写ではあるものの、救世主や黄金時代の到来を語っている。 第11巻 第11巻は324行から成り、ノアの大洪水以降の世界史を語っている。ローマの建国、トロイア戦争、アレクサンドロス3世(大王)、ディアドコイなどを仄めかしつつ、クレオパトラとユリウス・カエサルの時代までの歴史を辿る。救世主の類型なども含めて宗教的要素には見るべきものがなく、キリスト教的要素は含まれていない。終始一貫しているエジプトへの強い関心から、エジプトで書かれたことが確実視されており、「神の民」との対比でエジプトに下る災厄を予告していることなどからユダヤ人の作品と考えられている。 第12巻 第12巻は299行から成る。様式的には第11巻と全く同じだが、第5巻の焼き直しの側面を持つとも指摘され、最初の10行あまりに至っては第5巻の冒頭と全く同じである。 ローマ史が続き、アウグストゥスからアレクサンデル・セウェルスに至る3世紀初頭までの歴代ローマ皇帝について、名前の頭文字をゲマトリアで数字に置き換えつつ語られている。このうち、セプティミウス・セウェルス帝直後の後継者たちが省かれているが、これは原文の欠落の可能性が指摘されている。 宗教的要素は、初期ローマ皇帝たちの治世下において、地上に神のロゴスが現われたとする記述の中に見受けられる。これを明らかにキリスト教的な記述と見なす論者もいるが、ユダヤ人の叛乱を鎮定したウェスパシアヌス帝が「敬虔な者たちに対する破壊者」と呼ばれるなど、ユダヤ人寄りの記述も存在している。結果として、キリスト教的挿入句がわずかに存在するものの、全体的にはユダヤ人の作品とされ、エジプト、特にアレキサンドリアで書かれた可能性が高いと考えられている。 第13巻 第13巻は173行から成る。この巻も宗教思想の展開が見られず、第12巻に続いてマクシミヌス帝からアウレリアヌス帝までのローマ皇帝の通史が語られている。アウレリアヌスは怪物たちや30人の暴君を従えるであろうとされ、様々な都市が直面する災厄や戦争が語られている。フィリップス・アラブス帝や彼が直面したペルシアとの戦争、ローマの穀倉としてのアレクサンドリアなどにも言及されている。 第12巻と第13巻には連続性があるので、書き手は同一という説があったが、現在は支持されていない。書き手の問題に関連して、19世紀末以降、第11巻から第14巻の中でこの巻だけがキリスト教的か否かを巡って議論があり、現在も決着していない。キリスト教的と見なす論者の重要な典拠は、デキウス帝によるキリスト教徒迫害が強く仄めかされている箇所の存在である。これについては、ウァレリアヌス帝の迫害が全く反映されていないことが反証として挙げられている。ウァレリアヌス帝はキリスト教徒を迫害した後ペルシア軍に囚われ、キリスト教徒がそれを神罰と受け止めていたため、その仄めかしが全く見られないのは不自然というわけである。いずれにしても、エジプト、特にアレキサンドリアで成立した可能性が高いとされる。 第14巻 361行から成る第14巻は、『シビュラの託宣』全体の中でも最も曖昧で説明しがたいとも言われる。前半には4世紀の皇帝であるディオクレティアヌスやテオドシウスの名前が織り込まれているとされるが、主張されている歴史的事件は現実の日付と対応しておらず、詩人は明らかに自身の想像に従っている。そもそも本当にローマ皇帝に対応する記述なのかどうか自体に議論があり、解釈によっては、どんな早くとも7世紀以降の成立とされることもある。 かつては書き手が主として小アジアに関心を持っていたと見られ、その地域出身のユダヤ教徒ないしキリスト教徒だった可能性が指摘されていたが、現在ではアレキサンドリアのユダヤ教徒とすることがほぼ定説化している。 この巻には特筆すべき宗教的要素は何もないが、書き手は救世主や黄金時代の到来によって締めくくっている。それはラテン人たちの最後の世代の間、ローマは神自身の統治によって至福の時を享受し、エジプトを含むオリエント世界では全ての過ちが正された後で、聖なる民が平和に暮らすだろうというものである。
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