第11師団の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:00 UTC 版)
第11師団長土屋光春中将は司令部を大弧山北嶺に移すが、敵の銃撃を受け、参謀2名が戦死した。 歩兵第10旅団(旅団長:山中信儀少将)は東鶏冠山北堡塁、第二堡塁を攻撃。北堡塁の方は直前に外壕が見つかり、工兵隊の犠牲のもと、巨大な外壕に二条の突入路を築き、部隊が突入するが集中砲火を浴び、突入隊隊長の本郷少佐以下多くの死傷者をだし、外壕に躍り込んだ隊は全員戦死した。第二堡塁の方は占領には成功するも退却するロシア軍が放った火が壕内の弾薬に引火し爆発、それが引き金となる周囲の堡塁砲台から集中射撃を受け突入隊隊長の吉永少佐以下死傷者が続出し、弾薬も無くなり残余兵40名はやむ無く撤退。鉄条網下の地隙に援軍をまった。僅か3時間の占領であった。
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第11師団の攻撃
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第11師団は待機していたが松樹山、二龍山の占領がまだなので攻撃できずにいた。しかし既に攻撃準備が整っており、この際は多少の犠牲も覚悟して突撃すべしという結論になり、30日より攻撃を開始する。 30日午後1時、まず右翼隊の歩兵第22連隊が東鶏冠山北堡塁を攻撃しその1角を制圧。しかし第2堡塁に向かった歩兵第44連隊は集中砲火を浴びて壊滅する。 中央隊の歩兵第12連隊は第1堡塁に向かう。前面の散兵壕を蹴散らしつつ進撃し砲台も占領した。しかし周囲からの射撃を受け被害が続出し、戦線維持が困難になり退却を余儀なくされる。 31日、未だ士気旺盛な右翼隊は外岸側防を制圧。しかし血気にはやる一部部隊が砲兵の支援を待たずに突撃し壊滅。結局第11師団も東鶏冠山を制圧できず、坑道作業に移行していく。
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