第11師団と第11師管
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/08 23:17 UTC 版)
「第11師管」の記事における「第11師団と第11師管」の解説
師団制の師管は同じ番号の師団のための徴兵と密接に結びついており、第11師団の兵士は第11師管に戸籍を持つ男子から徴集された。また、第11師管から徴兵された兵士は第11師団に入るのが原則であったが、これにはいくつか例外がある。まず、独自の師管を持たない近衛師団には、全国の師管から兵士が送られた。植民地の朝鮮、台湾に常駐する部隊にも内地の師管から兵士が送られた。例えば、1921年(大正10年)に第11師管で徴集する現役兵は、第11師団に5433人、台湾守備隊に499人、朝鮮の第20師団に100人、近衛師団に59人が配分される計画であった。 師管はまた国内治安維持、外国の侵攻に対して出動する師団の担任地域でもある。四国は大阪湾や瀬戸内海への入り口として、東西に防衛上の要地を抱えていたが、明治期に海峡防衛の計画は第11師団ではなく、対岸の師団の統一指揮に委ねる方針がとられていた。そして日露戦争後(1906年以後)には外国軍の上陸攻撃の可能性はほぼなくなった。太平洋戦争で本土防衛の準備がふたたび必要になったが、それは第11師管でなく、改称後の善通寺師管・善通寺師管区・四国軍管区の時期にあたる。
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