第11師管
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第11師管(だいじゅういちしかん)は、1873年から1888年と、1896年から1940年まであった日本陸軍の管区で、当時12から18置かれた師管の一つである。1873年から1885年までは中国地方西部、それから1888年までは九州地方南部のいずれも鎮台制の師管。1896年からは四国地方にある師団制の師管で、制度が異なる。師団制の第11師管は、香川県の善通寺に司令部を置いた第11師団が管轄した。1940年に善通寺師管に改称した。
- ^ 『太政類典』第2編第205巻(兵制4・武官職制4)「鎮台条例改定」。
- ^ 『公文類聚』第9編第6巻(兵制門・兵制総・陸海軍管制・庁衙及兵営城堡附・兵器馬匹及艦舩・徴兵)、「鎮台条例ヲ改正ス」の七軍管疆域表、リンク先の7コマめ。『官報』第561号(明治18年5月18日発行)。
- ^ 『公文類聚』第9編第6巻(兵制門・兵制総・陸海軍管制・庁衙及兵営城堡附・兵器馬匹及艦舩・徴兵)、「鎮台条例ヲ改正ス」の七軍管兵備表と諸兵配備表、リンク先の9コマめと11コマめ。『官報』第561号(明治18年5月18日発行)、リンク先の3コマめと4コマめ。
- ^ 『官報』 第1459号(明治21年5月14日)。
- ^ 陸軍省『永存書類』大正10年甲輯第2類、「現役兵補充兵配賦の件」、リンク先41コマめの「大正十年徴集陸軍現役兵補充兵配賦員数区分表」。表の第11師管現役兵の欄には手書き訂正で5932とあるが、これは●で表示された台湾守備隊などへの配分数も含めた集計である。表では台湾守備隊と基隆・馬公の重砲兵隊を一種にして499人としているが、この499人はみな歩兵なので、本項目では全部を台湾守備隊向けとみなした。
- ^ 『官報』第3811号(明治29年3月16日発行)「陸軍管区表]」、明治29年勅令第24号、241 - 242頁(ファイルの1 - 2コマ)
- ^ 『官報』第5882号(明治36年2月14日)。
- ^ 『官報』第7268号(明治40年9月18日)
- ^ 『官報』第936号(大正4年9月14日)。『公文類聚』第39編第14巻、「陸軍管区表中ヲ改正ス」。
- ^ 『官報』第2406号(大正9年8月9日発行)。リンク先の8コマめ。
- ^ 『官報』第3509号(大正13年5月7日)。『採余公文』大正13年「陸軍省 陸軍管区表改正報告ノ件」。
- ^ 『官報』第3785号(大正14年4月8日)。
- ^ 『官報』第4066号(昭和15年7月26日)。
- 1 第11師管とは
- 2 第11師管の概要
- 3 善通寺師管・師管区、四国軍管区への改称と廃止
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