四国全域 (1898 - 1907)
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1896年の6個師団増設にともない、明治29年勅令第24号(3月14日制定、16日公布、4月1日施行)で、陸軍管区表が改定された。このとき増えた6つの師管の中に、第11師管があった。師管の区域は四国4県の全域である。師管の下には1県1つの連隊区が置かれた。 第11師管(1898年4月1日 - 1903年2月13日)丸亀連隊区 徳島連隊区 松山連隊区 高知連隊区 1903年に、明治36年勅令第13号(2月13日制定、14日公布)で、師管と連隊区の間に旅管をおくことになり、第11師管にも2つの旅管が設けられた。 第11師管(1903年2月14日 - 1907年9月以降)第10旅管丸亀連隊区 徳島連隊区 第22旅管松山連隊区 高知連隊区
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四国全域 (1925 - 1940)
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「第11師管」の記事における「四国全域 (1925 - 1940)」の解説
1925年の宇垣軍縮で陸軍は4個師団を削減を決めた。これにあわせて大正14年軍令陸第2号(4月6日制定、8日公布、5月1日施行)による陸軍管区表改定があり、師管が4つ廃止された。第11師管は1県1連隊区で構成される四国全域に戻った。善通寺連隊区がなくなって松山連隊区が戻り、連隊区の構成も創設時と同じである。 第11師管(1925年5月1日 - 1940年7月31日)丸亀連隊区 徳島連隊区 松山連隊区 高知連隊区
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