科学の探求、ルナー・ソサエティ
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「マシュー・ボールトン」の記事における「科学の探求、ルナー・ソサエティ」の解説
詳細は「ルナー・ソサエティ」を参照 ボールトンは正式な科学教育を受けたことがない。ジャイムズ・ケアは共同経営者でありともにルナー・ソサエティの会員であった人物で、ボールトンの死に際して次のように弔意を寄せた。 [ボウルトン]氏は科学的知識の習得にとって経験の蓄積による即断と理解力、論理的思考こそ肝要であって、教養はほんとうに学校教育から生まれるものか反証されました。自然科学の固有の分野における氏の見識は的確であり金属工学全般に精通、さまざまな事業の対象に関わるあらゆる化学作用を体得されていたのです。わけても氏の関心をひきつけたのは電気であり天文学でありました。 若い頃からボールトンは時代の科学的な進歩に関心があった。電気が人間の魂の現れであるという理論に見向きもせず「電気を霊魂と呼ぶのは間違である。単なる物質にすぎず、霊魂などではないことは明白である」と書き、そのような論調はたがいに脳の生み出す「妄想」を語り合うだけでしかないとも記した。また関心を共有する人物、例えばジョン・ホワイトハーストと知り合うとルナー・ソサエティに加盟させる。ペンシルバニアの印刷業者ベンジャミン・フランクリン(主要な電気実験を行う) は1758年にイギリスを訪問、長期滞在中にバーミンガムを訪れた彼に面会したボールトンは友人たちに引き合わせている。またフランクリンの助手として電気をライデン瓶に封じ込める実験に立会い、あるいはグラス・ハープを「グラシコード」として市販するために新しい瓶が必要だと聞くと、ボールトンがフランクリンの用立てた。 事業拡大により自由時間がなくなってからもボールトンは「哲学の」実践を続けた (化学実験を指す当時の言い回し) 。水銀の氷点と沸点を実験しては手帳に書き、年齢ごとの人間の脈拍数、天体の動き、封蝋や消えるインクの作り方をメモしている。しかし化学に情熱を燃やすもう一人の人物でルナー・ソサエティの会員のエラズマス・ダーウィンは1763にボールトンに宛てた手紙に「すでに堂々とした実業家になったあなたに―哲学の実践に関して―いかばかりか無心をお願いすることは私としても大変心苦しいのであります」。 血気盛んなバーミンガムの名士が1750年代、ときおり顔を合わせ始める。ボールトン、ホワイトハースト、ケア、ダーウィン、ワット (バーミンガム転入後),、陶芸家のジョサイア・ウェッジウッド、化学者で牧師のジョセフ・プリーストリーの面々である。イギリスの同好の集まりがそうであったように毎月、帰り道が明るい満月前後に集まることになり、誰が言うともなく会を「ルナー・ソサエティ」と名づける。幹事として会をまとめたウィリアム・スモール博士が1775年に亡くなると、ボールトンは集まりをきちんとした定例会にするため開催は毎週日曜日の午後2時から8時まで、会食のあとにテーマを決めて討論する決まりを作った。 ルナー・ソサエティの正会員ではなかったがサー・ジョゼフ・バンクスも積極的に出席し、1768年にジェームズ・クック船長に同行して南太平洋を訪れた際は、ソーホー製作所で作らせた緑色のガラスのイヤリングを携え、行く先々の先住民にわたす土産品として使ったという。クック船長がボールトンに航海に用いる道具を注文したのは1776年、ところがボールトンはそれでは長い航海に耐えられないと助言し、製造に数年かかると断っている。1776年に出港したクックはそのおよそ3年後に殺され、ボールトンの記録には受注した道具の説明は残っていない。 定例会では討論や実験が行われ、会員には四半世紀にわたり共同事業を続けたワットのほかにもボールトンとビジネス上のつきあいのあった者がいる。ウェッジウッドとも、仕入れた大壺にオルモルで装飾して販売する事業を縁に事業提携を申し入れていた。長年ボールトンと提携して製品を販売したケアだが、共同経営者にならないかというボールトンの説得には乗らなかった。 1785年、ボールトンはワットとともに王立協会のフェローに推薦され、祝いの手紙を寄せたホワイトハーストは満場一致でボールトンの入会が決まったと記している。 ルナー・ソサエティの「弱体化を防ぎ永続を願った」ボールトンだったが、会員の死亡や退会で空席ができても新規に会員を入会させることはできず、ボールトンの死後4年目の1813年に会は解散、資産はくじ引きで分割された。定例会の会議録をつけていなかったため詳細はほとんど伝わっていない。会が後世に残した影響を歴史家のジェニー・アグロウが書きとめている。 ルナー[会議] (ソサエティのこと) の会員は……それぞれ産業革命の父であり……会の場で取り組んだ化学や物理学、工学や医学分野の実験、製造界と財界を牽引したリーダーシップ、さらに政治と社会に発信した意見がその功績といえる。社会階層にも有識者の常識にもしばられないネットワtークに燦然と輝く会員たちは、進化する科学的思考と分野ごとに受け継がれた伝統的技術を統合する視点を開いた。ヨーロッパでイギリスが抜きん出る要素の根幹である。
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