科学の啓蒙活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 21:18 UTC 版)
「正しい科学知識を日本国民に広め日本の科学水準を上げる」ため彼はラジオ・テレビ・新聞などあらゆるメディアを使い(特にテレビへの出演は2,000回を超える)啓蒙活動を続けた。特に彼が重視したのは「子供」であった。「科学的素養は子供のうちにつけておかなければならない」という信念の元、満を持してつくったのが科学雑誌『Newton』である。これは彼が渡米時『ナショナルジオグラフィック』を読み感銘を受け、日本でもこのような科学雑誌を創刊しようと意図したのである。 当時も科学雑誌はあるにはあったが、難解すぎて一般向けではなかった。そこで、『Newton』では当時の技術では非常に高くついたにもかかわらず、全ページフルカラーで解説も簡便に、なるべく専門用語や難解な表現やカタカナ英語を使わず、「中学生がよんでわかる科学雑誌」を目指した。当時では珍しい定期購読者への宅配サービスも行う(送料無料)ほどの力の入れようであった。 発刊当初は専門の地球物理学、特にプレートテクトニクスに関する記事が多かったが、雑誌として認知されるに従って投稿する科学者が増え、総合的な科学雑誌となっていった。 また、NHK高校講座「科学と人間」(理科I、現在の理科総合に相当する科目)で物理をほとんど公式を使うことなくわかりやすく解説したこともあった。旺文社の大学受験ラジオ講座にも長く出演していた。 小松左京の著作『日本沈没』の原作執筆ブレーンとなり、1973年公開の映画でもプレートテクトニクスを説明する科学者役というそのままの設定でゲスト出演している。このことについては、後に『ニュートン』の記事の中で「迫真の演技である、として皆にからかわれた」と書いている。DVDには小松との対談の模様が収録された。翌年放送されたドラマ版にも出演している。「この小説の影響で、当時は地球物理学を志望する学生が増えたのを実感した」とも語っている。
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