ジェームズ・クック船長
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「最南端到達の歴史」の記事における「ジェームズ・クック船長」の解説
詳細は「ジェームズ・クック」を参照 ジェームズ・クック船長が1772年から1775年に行った2回目の航海は、主に南緯40度より南でまだ探検されていないどこかにあると信じられていたテラ・アウストラリス・インコグニタ(未知の南方大陸)を探求するものだった。クックはHMSレゾリューションとHMSアドベンチャーの2隻で1772年9月にイングランドを出発した。ケープタウンで休息した後、11月22日に2隻の船は真南を目指して出港したが、暴風のために東に流された。両船は何とか南に向けることができ、12月10日に初めて叢氷に出逢った。これが間もなく固まった障害となり、クックがその間を抜けて航海できるか操船能力を試すものとなった。クックは最終的に開けた海域に抜け出し、さらに南に行くことができた。1773年1月17日、遠征隊は南緯66度20分の南極圏に達した最初の船になった。それ以上の進行は氷に妨げられたので北東に向きを変え、ニュージーランドに3月26日に到着した。 それに続く数か月間、遠征隊は南太平洋を探検した。ニュージーランドの原住民との騒動を起こした後、レゾリューションのみが南に向かい、アドベンチャーは南アフリカに引き返した。このときクックは南極圏の奥深く入ることができ、1774年1月30日には南緯71度10分に達して最南端記録を塗り替えたが、氷の状態が悪くそれ以上は南に進めなかった。この最南端記録はその後49年間破られなかった[要出典]。 クックは南極海での航海の中で、ほぼ南緯60度より高い緯度で世界一周を行った。その間人を受け入れそうにない侘しい島々以外何も見ることはなく、それまで信じられていた南にある肥沃な大陸のかけらも見られなかった。クックは、そのような大陸が存在するならば、「自然によって運命づけられた国」であろうし、「私よりもさらに先に進もうという者はいないだろう。南の大地を探検することはないだろう」と記していた。「不可能が可能になって、大陸に達したとして、全く利用できないし、発見者やその国に何の恩恵ももたらさないだろう」と結論付けていた。
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