ジェームズ・クック船長とは? わかりやすく解説

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ジェームズ・クック船長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:29 UTC 版)

最南端到達の歴史」の記事における「ジェームズ・クック船長」の解説

詳細は「ジェームズ・クック」を参照 ジェームズ・クック船長が1772年から1775年行った2回目航海は、主に南緯40度より南でまだ探検されていないどこかにあると信じられていたテラ・アウストラリス・インコグニタ未知の南方大陸)を探求するのだったクックHMSレゾリューションHMSアドベンチャーの2隻で1772年9月イングランド出発したケープタウン休息した後、11月22日に2隻の船は真南目指し出港したが、暴風のために東に流された。両船は何とか南に向けることができ、12月10日初めて叢氷に出逢った。これが間もなく固まった障害となり、クックその間抜けて航海できる操船能力を試すものとなったクック最終的に開けた海域抜け出し、さらに南に行くことができた。1773年1月17日遠征隊は南緯6620分の南極圏達した最初の船になったそれ以上進行は氷に妨げられたので北東向き変えニュージーランドに3月26日到着した。 それに続く数か月間、遠征隊は南太平洋探検したニュージーランド原住民との騒動起こした後、レゾリューションのみが南に向かいアドベンチャー南アフリカ引き返した。このときクック南極圏奥深く入ることができ、1774年1月30日には南緯7110分に達して最南記録塗り替えたが、氷の状態が悪くそれ以上は南に進めなかった。この最南記録その後49年破られなかった[要出典]。 クック南極海での航海の中で、ほぼ南緯60度より高い緯度世界一周行ったその間人を受け入れそうにない侘しい島々以外何も見ることはなく、それまで信じられていた南にある肥沃な大陸のかけらも見られなかった。クックは、そのような大陸存在するならば、「自然によって運命づけられた国」であろうし、「私よりもさらに先に進もうという者はいないだろう。南の大地探検することはないだろう」と記していた。「不可能が可能になって、大陸達したとして、全く利用できないし、発見者やその国に何の恩恵もたらさないだろう」と結論付けていた。

※この「ジェームズ・クック船長」の解説は、「最南端到達の歴史」の解説の一部です。
「ジェームズ・クック船長」を含む「最南端到達の歴史」の記事については、「最南端到達の歴史」の概要を参照ください。

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