クック船長の来航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/17 19:43 UTC 版)
ジェームズ・クック船長の指揮するレゾリューション号とディスカヴァリー号は1779年1月17日にケアラケクア湾に来航する。1月28日には航海中亡くなった船員のキリスト教葬式を行った記録がある。初回の寄港はマカヒキの時期に当たり、現地人から厚遇を受けて、数週間後に離れる。 しかし、しばらくして嵐に遭い、船が壊れて、2月14日に再びケアラケクア湾へ寄港する。今回の寄港はスムーズに行かなかった。現地人が小舟を盗んだという疑いで、カラニオプウ王(Kalaniʻōpuʻu)を人質にしたあと、戦いが始まり、クック船長は初めて上陸した地点近くで殺された。
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