秀吉と高松城陥落とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 秀吉と高松城陥落の意味・解説 

秀吉と高松城陥落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:34 UTC 版)

中国大返し」の記事における「秀吉と高松城陥落」の解説

羽柴秀吉が、「信長斃れる」の変報聞いたのは6月3日夜から4日未明にかけてのことであった『太閤記』では、光秀毛利氏向けて送った密使捕縛したことを説明している。『常山紀談』では、秀吉所々忍び配置しており、備中庭瀬岡山県岡山市北区庭瀬)で怪し飛脚生け捕りにしたところ「信長打ち取らば、秀吉必ず敗北すべし。秀吉追い撃たれよ」と毛利側へ送る密書持っていたとしている。また、京の動向知らせるよう依頼していた信長側近茶人長谷川宗仁使者から知りえたともいわれている。なお、光秀密使としては明智氏家臣藤田八郎の名が伝わっており、岡山市北区立田には「藤田八郎の塚」が現在も残っている。戦国史研究者渡邊大門は、秀吉上方情報全般入手するための使者配置していた可能性指摘している。 秀吉変報が伝わると情報漏洩しないよう備前備中への道を完全に遮断し自陣に対して緘口令敷いて毛利側に信長の死を秘して講和を結び、一刻も早く上洛ようとしたまた、変報伝わった際、黒田孝高傍ら主君信長の仇を討つよう進言したという逸話がある。秀吉情報遮断した状況下で直ち6月3日夜のうちに毛利側から外交安国寺恵瓊自陣招き黒田孝高交渉させた。毛利側も、清水宗治救援困難だとの結論達しつつあり秀吉との和睦に傾いていており、変報知ったのは秀吉撤退した翌日だった。この、本能寺の変知りえるまでの情報入手における微かな時間差その後両者命運大きく分けたことになる。 3日深夜から4日にかけての会談で、当初要求していた備中備後美作伯耆出雲の5か国割譲代えて備後出雲を除く備中美作伯耆の3か国の割譲宗治切腹和睦条件として提示された。秀吉側は毛利氏宛てて内藤広俊を講和使者立てている。忠義尽くした宗治切腹という条件について毛利家難色示したが、恵瓊は、高松城城兵助命条件宗治開城説き、ついに宗治決断した秀吉宗治酒肴贈った小舟高松城漕ぎ出した宗治は、水上曲舞舞い納めた後に自刃した。「浮世をば 今こそ渡れ もののふの 名を高松残して」が辞世であったといわれる秀吉宗治切腹見届け、「古今武士の明鑑」と賞したという。宗治とその兄僧月清らの自刃6月4日午前10時頃と推定されるこの後秀吉高松城に妻北政所(ねね)の叔父にあたる腹心杉原家次置いた後、兵を東方引き返した毛利方が本能寺の変報を入手したのは秀吉撤退の日の翌日で、紀伊雑賀衆からの情報であったことが吉川広家覚書案文)から確認できる。この時、吉川元春などから秀吉軍を追撃しようという声もあがったが、元春の弟・小早川隆景はこれを制し誓紙交換している上は和睦遵守すべきと主張したため、交戦には至らなかった。毛利輝元もこれを了承し人質として秀吉側から毛利重政高政兄弟毛利側から小早川秀包桂広繁送られる(『日向記』)。4月下旬瀬戸内海制海権失い持久戦準備をしている織田に対して力攻めをする兵力がなく、持久戦耐える物資輸送手段窮した毛利氏には講和をするしかなかったのであるまた、毛利勢は備中松山城岡山県高梁市)に本陣を置き、領国防衛第一とする基本的な構え秀吉軍に対峙していることから、守備態勢追撃態勢切り換えることは事実上不可であったとする見解もある。事実秀吉万一毛利勢から追撃される場合措定して備前宇喜多秀家の軍を留め置いている。仮に宇喜多軍が突破されても、伯耆南条元続毛利領に侵攻し毛利軍背後衝く手筈となっていたことも考えられる光秀立場からすれば毛利勢力秀吉背後を衝き、東西から挟撃する態勢となることを期待したが、毛利氏はそれに呼応しなかったし、呼応して秀吉挟撃できない状況作られていたことになる。

※この「秀吉と高松城陥落」の解説は、「中国大返し」の解説の一部です。
「秀吉と高松城陥落」を含む「中国大返し」の記事については、「中国大返し」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「秀吉と高松城陥落」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「秀吉と高松城陥落」の関連用語

秀吉と高松城陥落のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



秀吉と高松城陥落のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中国大返し (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS