秀吉との内誓紙
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『中川氏年譜(付録)』によると天正8年(1580年)の内誓紙がある。 秀吉と御取遣の内誓紙公儀無御疎略体、中々無申計候条、向後兄弟之契約申定候、然者本知之儀者不及申、河内国、摂津国、かけの郡之儀申上可進之候。如斯申談上者聊以表裏抜公事有之間敷候者也。右之旨若偽於有之者、忝日本国中、大小之神祇、八幡大菩薩、愛宏、白山御罰可罷蒙者也。仍如件。 六月五日 羽柴藤吉郎中川瀬兵衛 殿 — 中川氏年譜 これにより秀吉と清秀は兄弟の契りを結んだことになり、両者の親密さをうかがわせる。
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