日向記とは? わかりやすく解説

日向記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 14:04 UTC 版)

落合兼朝」の記事における「日向記」の解説

永禄年間伊東氏家伝『日向記』を執筆開始し永禄11年1568年)の飫肥知行までの記事をもって『日向記』執筆終えた。「若狭前司兼朝」との署名が残る。『日向記』は後に飫肥藩関係者によって元亀年間以後記事加筆された。今日では日向国中世を知る上で基本史料として重要であり、複数の本が現存している。本書の「分国中城主揃事」に挙げられた、日向伊東氏最盛期存在した48城郭群が、今日伊東四十八城」と称されている。

※この「日向記」の解説は、「落合兼朝」の解説の一部です。
「日向記」を含む「落合兼朝」の記事については、「落合兼朝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日向記」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日向記」の関連用語

日向記のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日向記のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの落合兼朝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS