碁
『述異記』(任昉)巻上 晋の時代。木こりの王質が石室山へ行き、数人の童子が碁を打つのを見物する。童子は棗(なつめ)の核(たね)のようなものを王質に与え、それを口に含むと飢えを感じなかった。しばらくして童子が「なぜ行かないの?」と言うので、王質は立ち上がって斧を取る。斧の柯(え)はぼろぼろに爛(くさ)っていた。山を下りて里へ帰ると、誰も知る人がいなかった。
『国性爺合戦』4段目 呉三桂が2歳の太子を連れて九仙山に登り、碁を打つ老翁2人と出会う。老翁らは仙術をもって、国性爺の春夏秋冬の戦いぶりを碁盤上に現し出す。見ているうちにいつしか5年が過ぎ、呉三桂は、7歳に成長した太子を見る。
『仙人の碁打ち』(松谷みよ子『日本の伝説』) 菅平(すがだいら)のふもとの仙仁(せに)部落に、太平さんという木こりがいた。今日も1日、山で切った木を背負い、その中の適当な1本を杖にして、山を下った。仙人岩まで来ると、洞穴で2人の老人が碁を打っているので、太平さんはそれを面白く見ていた。「はて、もう家へ帰らねば」と、杖を取り直そうとしたとたん、太平さんはよろめいて倒れた。杖の木はいつのまにか朽ちており、太平さんも白髪のおじいさんになっていた(長野県)。
★2.碁が始まるとともに宇宙が始まり、碁が終わるとともに宇宙が終わる。
『星碁』(小松左京) 「あたり!」と先番が言い、「これは手厳しい」と相手が応ずる。「待ちませんよ」「ここは1つ、長考一番」「劫ですな」「寄せですな」・・・と語り合ううち、勝負は終わりに近づく。退化した老地球人が、「宇宙の終わりだよ」と孫に教える。「宇宙の終わりの時には、空が星でいっぱいになって、それがはしから消えて行く、と昔の言い伝えにある」。星は切り取るようにゴソリと消えて行き、宇宙は太初の暗黒に還った。「もう1度しますか?」と先番の声が言った。
『柳田格之進』(落語) 8月15夜の晩、質両替商・萬屋源兵衛が、浪人・柳田格之進と碁を打っているところへ、番頭・徳兵衛が50両を届ける。源兵衛はそれを受け取るが、はばかりへ立つ時に、「天下の通用金を不浄な所へ持って行くのは良くない」と思い、額(がく)の裏に50両を置いて、そのまま忘れてしまう。そのため、柳田格之進に疑いがかかる(*→〔身売り〕1)〔*師走の大掃除の時に50両が見つかり、源兵衛は柳田に詫びる。源兵衛は、柳田の娘お絹を番頭・徳兵衛と娶(めあ)わせ、2人は萬屋の夫婦養子となる。2人の間に生まれた男児は柳田が引き取り、家督を継がせた〕。
★3b.碁に夢中の男が、人を死に追いやる。
『酉陽雑俎』続集巻4-966 梁の武帝が、高徳の法師を召し出す。臣下が法師の参上を告げた時、武帝は碁を打っていて石を1つ殺すところだったので、「殺せ」と口に出す。臣下はただちに法師を斬り殺す。碁を打ち終えた武帝が法師に「入れ」と命ずると、臣下は「御命令どおり殺しました」と答える〔*『太平記』巻2「三人の僧徒関東下向の事」や『曽我物語』巻2「奈良の勤操僧正の事」の類話では、天竺の大王が「截(き)れ(=対戦相手の碁石のつながりを断つこと)」と言い、臣下が僧を斬る〕→〔王〕6。
*碁に夢中の男が、人の寿命をのばしてやる→〔北斗七星〕5の『捜神記』巻3-6(通巻54話)。
★4a.仙人が碁を打つ。
『捜神後記』巻1-2 晋代の初め、男が崇高山の北の大きな穴に落ちた。男は穴の中を10日ほど歩いて、仙館(=仙人の修道場)へ到る。そこでは、2人の仙人が棋(=碁あるいは将棋)を囲んでいた。仙人に勧められて1杯の白い飲み物を飲むと、男は気力が10倍になった。仙人が「留まることを望むか?」と問い、男は「否」と答える。「西方に天の井戸があり、そこに身を投ずれば外へ出られる」と教られ、男は半年後に蜀の国へ出た。
★4b.老僧が碁を打つ。
『今昔物語集』巻4-9 天竺の寺で、80歳ほどの老比丘2人が、ひたすら碁を打ち続けていた。2人は自在に姿を消したり現したりした。2人は、「黒が勝つ時は我が身の煩悩が増さり、白が勝つ時は我が心の菩提が増さる」と、陀楼摩(だるま)和尚に語った〔*2人の老比丘と見えたのは実は1人であり、2人に分身して『1人碁』を打ち、自らの煩悩身(黒)と菩提心(白)の戦いを観じていたのだろう〕。
『玉箒木』(林義端)巻之2の2 江戸牛込の隠者昨庵は碁を好み、昼も夜も碁を打ったが、たいそう下手であった。春の日、彼は柏木村の円照寺へ花見に出かける。色白の男と色黒の男が「我らは貴殿と深き親しみあれども、見忘れてござろう」と昨庵に声をかけ、「ともに語り慰み、花をも眺めよう」と誘う。2人は碁子の精霊で、碁にまつわる多くの句を吟じ、四言八句の銘を昨庵に授けて去った。以来、昨庵は碁の名人となり、江戸には敵対する者がなかった。
★6.碁の上達。
『青年』(森鴎外)24 小泉純一(*→〔童貞〕3)が国にいた時、碁を打つ友達がいた。ある会の席でその男が、「打たずにいる間に碁が上がる(=上達する)」という経験談をすると、教員の山村さんが、「それは意識の閾(しきい)の下で、碁の稽古をしていたのだ」と言った。
『子供五題』(稲垣足穂)「牡丹を焼くをぢさん」 「僕」の知人の南部さんの小さい子息が、「お隣の小父さん、よその小父さんと牡丹を焼いている」と、お母さんに報告した。「黒い牡丹と白い牡丹があって、木の網の上で焼いている」。お母さんが見に行くと、「牡丹」ではなくて、洋服の「ボタン」だった。小父さん2人は、縁側で碁を打っていたのである。
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