相互乗り入れへの動きとその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 17:24 UTC 版)
「岡山県・香川県の放送」の記事における「相互乗り入れへの動きとその後」の解説
岡山・香川両県は瀬戸内海を挟んで向かい合うことからお互いの県の放送電波が飛び交うスピルオーバー地帯である。 NHK総合も当初は岡山・香川両県及び兵庫県播磨地方を対象に金甲山に送信所を設け、NHK岡山放送局がVHFテレビ放送を開始、続く民放も山陽放送が岡山県を放送エリアとし、金甲山に送信所を設置してVHFテレビ放送を開始した。一方、高松市に本社を持つ西日本放送は香川県を放送エリアとし、市内の五色台に送信所を設置してVHFテレビ放送を開始した。放送開始当時から岡山・香川の県庁所在地かつ最大都市の岡山市と高松市を含む、両県の瀬戸内海沿岸部では、3局を視聴可能であったものの、それぞれの放送エリアの兼ね合いで3局でVHFテレビ送信所が揃わない状況となった。 1970年前後に全国にUHFテレビ局が次々と開局していく過程では、従来テレビ放送を行っていなかったNHK高松放送局がUHFテレビ放送を開始してNHK岡山放送局のエリアから独立し、また県域UHF民放テレビ局として金甲山を送信所に岡山放送、前田山を送信所に瀬戸内海放送がそれぞれ開局した。これを機に岡山・香川両県は既存VHF民放局も含めてそれぞれ独立の県域放送エリアとして扱われるようになった。 そうした中で、面積が小さく大半が平地である香川県では、大半の地域で自県のテレビ放送に加え、金甲山からのテレビ放送を見ることができ、民放4局を視聴できた。一方、岡山県では南部で香川県のテレビ放送を視聴できる一方、北部と山間部の地域では山がちな地形の関係上できなかった。 当時の状況 岡山市に本社を置く放送局RSK山陽放送(本局はVHF波、TBS系列)1958年6月1日開局。開局当初は日本テレビ・フジテレビ・NETテレビの番組も一部ネット。岡山放送と瀬戸内海放送開局後単独ネットに。 岡山放送(本局はUHF波、フジテレビ系列、開局当初の局名はテレビ岡山)1969年4月1日開局。相互乗り入れ開始までテレビ朝日(当時はNETテレビ)系列とのクロスネット局。 高松市に本社を置く放送局西日本放送(本局はVHF波、日本テレビ系列)1958年7月1日開局。相互乗り入れ開始までTBSやフジテレビの番組を一部ネット。 瀬戸内海放送(本局はUHF波、テレビ朝日系列)1969年4月1日開局。相互乗り入れ開始までTBSやフジテレビの番組を一部ネット。 相互乗り入れ前にはそれぞれ本社の所在する県を放送対象地域としていたが、瀬戸内海に近い地域などこれら4局が受信可能な地域では各系列局同士の補完が可能で実際に岡山・高松の2都市をはじめとする2県で日常的に視聴されてきた。特に本局がVHF波である山陽放送や西日本放送で顕著であった。 ただ、カバーエリアとしては両県に跨っていても放送対象地域の絡みもあり、各局の中継局の設置は、山陽放送と岡山放送が岡山県内、西日本放送と瀬戸内海放送が香川県内にとどまっていた。 しかしながら4社の中で最も経営体力が弱い瀬戸内海放送は1975年に小豆島に小豆島中継局を設置、表向きは香川県内向けの中継局であったが、スピルオーバーにより岡山県南部でも視聴可能なエリアが広がることになる。さらに岡山県の山陽新聞などに「小豆島にアンテナを向けてください」と新聞広告を出し、視聴可能であることを公然とアピールするようになった。これに伴い本来なら放送エリア外の岡山県の企業も瀬戸内海放送でCMを放映するようになり、同局は広告収入が増加する恩恵を受けている。 一方で、1972年に鳥取・島根両県の民放が相互にエリアを拡大するという事例があり、岡高地区についても民放局の増加で特に瀬戸内海沿岸地域における中継局のチャンネル数が逼迫する可能性があった。 そこで1979年4月1日付けで旧郵政省(現:総務省)が民放テレビ局に限り岡山・香川両県を同一エリアとするチャンネルプランの変更を行った。それ以後、テレビ放送における用語としてこの両県を、それぞれの県の県庁所在地である岡山市と高松市から、岡高地区と呼ぶようになる。 これ以降、岡山・香川両県の民放は相互に乗り入れた放送を行っており、本社をどちらに置いていても両県全域を一つのエリアとみなして運用しているが、こちらは鳥取・島根両県(テレビ・AM・FM全てが、NHKは県域、民放は準広域)の場合と違って、「民放テレビは準広域、NHKと民放ラジオは県域」という構図である。 これに伴い、同年2月1日に瀬戸内海放送が小豆島中継局の指向性を岡山県向けに変更すると共に出力を1kW→5kWに増力(岡山県内向け中継局化)し、同月17日には岡山放送が金甲山送信所の岡山県向けに設定されていた指向性を解除し、香川県内向けの送信を本格的に開始している。 1983年3月24日に西日本放送と瀬戸内海放送が岡山県に岡山佐山テレビ中継局を、1984年4月5日に岡山放送が、1985年3月27日に山陽放送が香川県に高松(前田山)テレビ中継局をそれぞれ開局して、テレビ中継局に関しても相互乗り入れが開始された。 金甲山・前田山各送信所への送信所統一前の電波状況チャンネル放送局名コールサイン空中線電力放送対象地域放送区域内世帯数金甲山送信所3ch+NHK岡山教育テレビ JOKB-TV 映像10kW/音声2.5 kW 全国放送 約75万世帯 5ch+NHK岡山総合テレビ JOKK-TV 岡山県 約83万5000世帯 11ch山陽放送岡山本局 JOYR-TV - 35ch岡山放送岡山本局 JOOH-TV 青峰送信所9ch西日本放送高松本局 JOKF-TV 映像10kW/音声2.5 kW 香川県 - 前田山送信所33ch瀬戸内海放送高松本局 JOVH-TV 映像10kW/音声2.5 kW 香川県 - 37chNHK高松総合テレビ JOHP-TV 39chNHK高松教育テレビ JOHD-TV 全国放送 小豆島中継局25ch瀬戸内海放送小豆島局 なし 映像5kW/音声1.25 kW 香川県 - 27chNHK高松総合テレビ小豆島局 映像1kW/音声250W ※3ch、5chはオフセット+10kHz局※小豆島中継局の設置場所は現在の向山ではなく四方指である。 そして1984年に高松・前田山にあった瀬戸内海放送の本局送信所と1986年に五色台の青峰にあった西日本放送の本局送信所を、それぞれ岡山県側の本局送信所がある岡山・玉野両市の金甲山に移転した。その際に瀬戸内海放送の旧高松本局は出力を半減した上で中継局に降格し、さらに西日本放送の旧本局は廃止の上で代替として瀬戸内海放送と同じ前田山に同出力の中継所を新設、瀬戸内海放送小豆島中継局もチャンネル変更の上、大幅減力(5kw→300w)して移転した。 さらに西日本放送は、他局が岡山本局とする金甲山の送信所をチャンネルを従来通り(9ch)とした上で「高松本局」、同じく他局が高松中継局とする前田山の中継局は「前田山中継局」の扱いで放送する様になる。なお、四国新聞と山陽新聞は他の放送局と同じく金甲山を「岡山局」、前田山は「高松局」と扱う。 一方でAMラジオにおいても同様の状況であったため、相互補完の意味合いもあり、ラジオ・テレビ兼営である山陽放送(岡山県側)がJRN、西日本放送(香川県側)(いずれも1953年10月1日開局)がNRNにそれぞれ単独加盟し、各ネットワークのネットを受けていた。だが、1997年以降は山陽放送の番組不足などからAM波に関しては相互棲み分けが撤廃され、JRN・NRN双方の加盟局となった。両局は実質的に両県で現在も聴取できるものの、放送対象地域としては一貫して山陽放送が岡山県、西日本放送が香川県と県域単位のままで、AMラジオについてはテレビのように隣県に乗り入れて中継局が増設されることはなく、山陽放送親局送信所が10kWに増力された程度である。
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