特殊な戒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 14:24 UTC 版)
ここで言う『特殊な戒』とは、主に密教経典や主要なタントラ経典に説かれる戒律のことを言う。日本の各宗派にはそれぞれの教えの特徴となる経典(依経:えきょう)があり、密教でいうと、例えば真言宗では『金剛頂経初会』と『大日経』を両部不二として所依の経典とし、あるいは伝統的には『五部経典』を依用している。この点は、無上瑜伽タントラに属する教えを継承するチベット密教においても同様で、それぞれの教義を生み出す背景となる根本のタントラ経典があり、それをチベットでは主要な「五タントラ」と呼び、「五タントラ」とそれを依用する宗派は次のようになる。『大幻化網タントラ』はニンマ派、『喜金剛タントラ』はサキャ派、『勝楽タントラ』はカギュ派、『秘密集会タントラ』はゲルク派、『時輪タントラ』はチョナン派においてそれぞれ依用されている。 ここでは日本になじみのないタントラ経典に説かれる戒律として、チベットで最も早期に成立した宗派であるニンマ派の旧訳とされる『大幻化網タントラ』において説かれる戒律を紹介する。 『大幻化網タントラの三昧耶戒』 この戒律は、根本の五条と、支分の十条からなる。なお、これらは無上瑜伽タントラに説かれる戒律なので、文字による表面的な意味ではなく、象徴としての深い意味を持つので、必ず有資格者である無上瑜伽タントラの指導者であり、このタントラの伝授に関する知識と経験を有する金剛阿闍梨(ドルジェ・ロプン)からの詳しい解説と、口伝によって理解する必要がある。 「根本の五条」 この戒律に違反したものは、『大幻化網タントラ』に関するあらゆる成就と、仏教のゾクチェンに関する成就を失い、密教における生起次第の瞑想に多くの障害をもたらすことになるとされる。根本ラマ(師僧)を心より敬うこと。 「無上」を捨ててはならない。 常に真言(マントラ)を唱え、手印(ムドラー)を結び続けること。 既に正道(金剛乗の修行)に入った者を慈しみ、助けること。 「法器」ならざる者に対して、教えの秘密をもらしてはいけない。 「支分の十条」 支分の戒律は、ゾクチェンの境地の見解でもある「輪廻と涅槃は無差別」の意味を積極的に表したものであり、前の五条と、後ろの五条からなる。一、「五毒を捨ててはならない」。 前の五条は、大悲(悲無量心)を基とした深い心に関する戒律である。密教の菩薩である瑜伽行者は、覚りを得ていながらも涅槃に赴くことなく、苦しみの根本となる煩悩を捨てずに輪廻の世界へと再び生まれ、世々において一切有情を救おうという誓いを表している。ここでいう五毒とは、チベット密教において輪廻のそれぞれの世界に生ずる原因となる五大根本煩悩を指している。また、「転識得智」(てんじきとくち)の考え方を採用し、五毒を変じて如来の五智とするので、その要素となる五毒を捨ててはならないとする説もある。貪(とん:貪り)を捨ててはならない。 瞋(じん:怒り)を捨ててはならない。 痴(ち:愚かさや愚痴)を捨ててはならない。 慢(まん:慢心)を捨ててはならない。 嫉(しつ:妬み[これは悪見と無明とに相当する])を捨ててはならない。 二、「五甘露を捨ててはならない」。 後ろの五条は、大慈(慈無量心)を基として身体の生理を象徴的に表した戒律である。歴史上の仏陀は「生きとし生けるものたちを、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」と戒められたが、この戒律は瑜伽行者自身の身体を含めた「生まれて来た命」、あるいは「生かされた命」を育むことを目的とし、一切有情である生きとし生けるもの達をあるがままに受け入れて残らず救おうという誓いを表している。ここでいう「五甘露」は、『身口意三業三昧耶戒』の「五忍取」と同じものを指す。ただし、用語として生命の維持のために身体から排泄される様々な物の言葉を使用するが、その表面的な意味にとらわれることは無上瑜伽タントラへの誤解を生む原因となることは言うまでも無い。一切有情を肉体の面から救済する方便として、現代の医療では、ノロウイルスの検知や成人検診でも知られる「検便」や「検尿」、「採血」や様々な「触診」や「マンモ検診」、成人男性の「精力回復」等、今日では常識となっているこれらの医療行為は、無上瑜伽タントラが説かれた8紀-12世紀において、カーストの高い地位にある僧侶や王族にとってはまさに禁忌の知識とされたが、阿闍梨の五明に見られるように密教僧の医者にとっては、有情の苦しみを救う立派な治療法であった。勿論その方法は先駆的であり原始的ではあるが、現在もチベット密教の『四部医典』や、薬師如来の治療法を描いたタンカにもその図解が見られ、医学的な知識の無い者が見た際には今日でも奇異に感じられるほどであるから、当時はまさに狂人の行為、異端の仏教とみられたに違いない。 大香(だいこう:供物の場合は「甘露丸・法薬」、生理現象を表す場合は大便)を捨ててはならない。 水香(すいこう:供物の場合は「サフラン水」、生理現象を表す場合は小便)を捨ててはならない。 大血(だいち:供物の場合は「食紅」、生理現象を表す場合は経血)を捨ててはならない。 大肉(だいにく:供物の場合は「人形のトルマ」、生理現象を表す場合は人の肉体)を捨ててはならない。 菩提(ぼだい:供物の場合は「ヨーグルト」、生理現象を表す場合は精液)を捨ててはならない。 なお、ここに挙げた「五甘露」の意味は、外と内と秘密の三つの教えのうち、外の「五甘露」についての限定的な意味である。
※この「特殊な戒」の解説は、「三昧耶戒」の解説の一部です。
「特殊な戒」を含む「三昧耶戒」の記事については、「三昧耶戒」の概要を参照ください。
- 特殊な戒のページへのリンク