海上保安庁との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 08:18 UTC 版)
海上保安庁は海上の安全および、治安の確保を図ることを任務とする国土交通省(旧運輸省)の機関(外局)であり、主に海難救助、交通安全、防災及び環境保全、治安維持が任務の内訳となるが、それ以外にも海洋権益(領海警備や海洋調査)も任務としている。一方、国外の艦艇に対応する任務は行政上別系統である防衛省の特別の機関である海上自衛隊が担当しており、船舶に対する任務を海上保安庁が担う。海上自衛隊は防衛大臣による海上警備行動の発令によって初めて洋上の警備行動が取れる。 海上保安庁は第二次世界大戦敗戦後、高等商船学校出身の旧海軍予備士官が中心となり、1948年(昭和23年)5月設立された。これに対し、海上自衛隊の前身・海上警備隊は海軍兵学校を卒業した旧海軍の正規士官(海軍将校)が中心となり海上保安庁内に1952年(昭和27年)4月に設置された。 高等商船学校生は卒業時に海軍予備少尉又は海軍予備機関少尉に任官され、戦時に召集されると海防艦の艦長、特設艦艇の艦長・艇長、あるいはそれらの艦艇の機関長等として船団護衛、沿岸警備の第一線で活躍したほか、乗り組んでいた商船が船ごと軍に徴用されて危険海域の物資・兵員輸送業務に従事するなど、予備士官といえども海軍兵学校出身の正規士官に負けない働きをした。しかし、優秀なエキスパートであっても予備士官は将校とはされず、有事の際には指揮権継承の優先権を軍令承行令に基いて、将校たる正規士官より下位とされた。 太平洋戦争(大東亜戦争)では高等商船学校出身者の戦死率が海軍兵学校出身者よりも高く、これが後に至るまで海上保安庁(高等商船学校出身者)と海上自衛隊(海軍兵学校出身者)の関係に禍根を残した。組織的な背景を詳らかにすれば、商船学校はピュアに高等船員を養成するのに対し、海軍兵学校はロジスティックスも含めた海軍の官僚組織員の養成学校という本質的な違いがある。 1999年(平成11年)に能登半島沖不審船事件が発生し、事態が海上保安庁の能力を超えているとして海上自衛隊に初の海上警備行動が発動された。この時の反省を受け事件後に、海上保安庁と海上自衛隊との間で不審船対策についての「共同対処マニュアル」が策定され、長らく続いてきた両者間の疎遠な関係を改善する切っ掛けとなり、情報連絡体制の強化や両機関合同の訓練が行われるようになった。同時に海上警備行動発令下のROE(行動基準)、とりわけ武器の使用に関する隊員教育が行われるようになっている。海上警備行動は、「海上自衛官の制服を着た海上保安官」としての行動であり、警察官職務執行法に準じた行動が求められるためである。 ただし、自衛隊法第80条には、「内閣総理大臣は、第七十六条第一項又は第七十八条第一項の規定による自衛隊の全部又は一部に対する出動命令があつた場合において、特別の必要があると認めるときは、海上保安庁の全部又は一部をその統制下に入れることができる。」(第1項)、「内閣総理大臣は、前項の規定により海上保安庁の全部又は一部をその統制下に入れた場合には、政令で定めるところにより、長官にこれを指揮させるものとする。」(第2項)との規定があり、有事の際には海上保安庁の指揮権を一時的に防衛大臣に委ねることができる旨を定めている。 しかし、自衛隊法第80条に基づく海上自衛隊艦艇と海上保安庁船舶の統一運用は、指揮命令系統がまったく別であること、これを調整する諸規定が定められていないこと、船名艦名で同一のものが少なからず存在すること等から、不十分な状態にある。 また、海上保安庁法第25条は「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない。」と海上保安庁を非軍事組織として強く定義している。この点が、準軍事組織であるコーストガード(アメリカ沿岸警備隊など)との大きな違いである。 海上保安庁では固定翼の練習機を配備していないため、操縦士の初等教育は海上自衛隊に委託されている。
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