殺人につき無罪判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 16:55 UTC 版)
「青森県新和村一家7人殺害事件」の記事における「殺人につき無罪判決」の解説
1956年4月5日13時より、青森地裁弘前支部で猪瀬裁判長係、山本検事・丸岡弁護人の立ち会いのもと、判決公判が開かれた。猪瀬裁判長は被告人Mに対し、住宅への住居侵入罪・尊属殺人罪・殺人罪は無罪、物置小屋へ侵入した住居侵入罪は懲役6月(執行猶予2年)とする判決を言い渡した。 判決理由で、同地裁支部は安斎・林の両鑑定人による鑑定結果を踏まえ、「Mは先天的てんかんであるところ、事件前日には偶然大量に飲酒して盗みに入ったが、猟銃を発見して『見つかったら殺される』と被害妄想的思考を起こし、恐怖的感情の興奮により意識障害も深くなった。そのため理性的判断・抑制力を失って犯行におよんだ」として、殺害行為におよんだ時点で心神喪失状態にあったということについては「犯行後相当の時を経てから過去の事実を判定したのであるから右鑑定の結果のとおりであると確認することはできないけれども心神喪失の状態にあった疑いが非常に強いと認めるのが相当であるという趣旨に帰着するようである。かように心神喪失の事実の存否について非常に強い疑いがあるときは心神喪失の事実の不存在が証明されない限り右犯行当時心神喪失の状態にあったものと認める外ない。」と指摘した。 その上で、心神喪失ではなかったと証明するに足る証拠の有無について検討し、Mの捜査官に対する供述内容が極めて断片的であることについて言及し、「検察官が論告の際指摘したように右のうち記憶になければ到底述べられないと思料される供述部分があるけれども、心神喪失とは高度の精神機能の障碍によって是非善悪を弁別できないか又は弁別してもそれによって行動することができない状態をいい、全然意識のない状態のみを指すものではない」と指摘した上で、安西・林両鑑定人の鑑定書や、彼らの公判での供述などを検討し、「前記記憶に基く供述部分は病的異常な体験に基くものではないかとの疑いが強いものと認めるのが相当であるから被告人が犯行当時前示程度の意識があったからといって直ちに被告人の別紙記載の犯行時における心神喪失の疑いを覆し、被告人に当時是非弁別の能力がいくらかあったものと認めることは困難である。」という見解を示した。また、Mが犯行時の酩酊度については一貫して「本心がわからなくなるほど酔ってはいなかった」という旨を述べていることも併せ考え、以下のように指摘した。 以上の各事情は被告人が犯行時心神喪失の状態になかったことを証明するというよりもむしろ逆に被告人が別紙記載の犯行時安斎、林両鑑定人の各鑑定書記載のような素因の複合に基く一過性の心神喪失の状態に陥ったのではないかとの疑いを更に強めるものとさえいうことができるのではなかろうか。そしてこれと共に被告人の捜査官及び安斎、林両鑑定人の問診の際は勿論のこと、起訴前における捜査官の取り調べに対しても酔っていて全く何も分らなかった旨を強調したであろうし、強調するには絶好の状況にあったわけである。しかるに事実はこれに反し被告人はむしろ逆に本心のなくなる程は酔っていなかった旨を大体一貫して述べていることは前記のとおりである。以上のとおりであるから前示のように被告人が記憶している部分があるからといって、これが心神喪失の状態の不存在を証明するに足ると認めることはできないのである。 — 青森地裁弘前支部、『高等裁判所刑事判例集』(高刑)第11巻4号 そして、Mが事件前から計画的に、XやA1を殺害する機会を窺っていた可能性を示唆する言動など(前述)についても検討した結果、それらの事情をもって「被告人が右犯行時心神喪失の状態になかったことを認めるに足るものとすることはできないし、他にこれを認めるに足る証拠はない。」と認定した。以上より、「被告人は〔殺人行為の〕犯行当時心神喪失の状態にあったものと認めるを相当とすることに帰するからして〔殺人行為の〕公訴事実については刑事訴訟法第336条を適用して被告人に対し無罪の言い渡しをするほかはない。」と結論づけ、刑法第39条の規定により、(Xらが住んでいた住宅への)住居侵入・尊属殺人・殺人の各罪状は無罪とした。一方、犯行前に物置小屋へ侵入した行為(住居侵入罪)については、弁護人の「心神喪失または心神耗弱状態だった」との主張を退けて有罪とし、懲役6月・執行猶予2年の刑を言い渡した。 無罪判決を受け、Mは2年4か月間にわたって拘置されていた弘前拘置支所から釈放されたが、その際に地元紙の記者から取材を受け「自分はもう満足だ」「家に帰ったら早速墓前にお詫びしたい」と話していた。裁判長を務めた猪瀬は、退官後に『週刊新潮』の記者からの取材に対し、以下のように述べている。 「トラを野に放つ結果にならんかといっても、刑法の解釈を曲げることはできない。しかし、実際には、こういう場合の収容施設がない。困ることはあり得る。裁判所としても困る。裁判官は板ばさみですね。あの事件もそうだった。最初は、ちょっと見たところ、本人は異常ないし、責任能力の問題になるとは考えていなかった。ところが、親戚に精神異常のいることがわかってさ、鑑定ということになって、無罪にするよりほかないと思ったんです。もちろん、われわれとしても、出したらどうなるか、心配したどころじゃありません。合議もずいぶんもめたんですよ」 — 猪瀬一郎、『週刊新潮』 (1971) 猪瀬は同年9月、県紙である『東奥日報』紙上で行われた対談で、本事件の判決について以下のように述べている一方、遺体の司法解剖を担当した赤石英(弘前大学医学部教授)は「一般に(同判決は)『軽すぎる』という反応が多いようだ」という旨を述べている。 「僕の判決言渡しが軽すぎるという話を聞く。だが、どうして刑が軽いというかぼく自身に判らないんだがね。」「ぼくのこれまでの経験でモウロウはこんどの〔M〕が初めてだったので、この判断に大分日時を要した。大分あの判決では軽いという非難があったようだ。あんなに何発も、人を殺すために鉄砲をうっていて、それでモウロウという話は納得ができんというのだナ。」 — 猪瀬一郎、『東奥日報』 (1956) 弁護人の丸岡は判決を受け、「事件が大きいだけに有期刑以上を覚悟していた。無期懲役以上なら控訴するつもりだったが、無罪判決は(満足ではあるが)意外だった」と述べている。
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