殺人を自供・再逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:44 UTC 版)
「藤沢市母娘ら5人殺害事件」の記事における「殺人を自供・再逮捕」の解説
逮捕から10日後の6月23日午後、Y事件を捜査していた兵庫県警が神奈川県警捜査本部に対し「Y事件の現場に残された足跡が被告人Fの靴の足跡と一致する」と報告したが、従来からの取り調べ担当捜査員2人がそれをFにぶつけると、Fはショックを受けた様子を示した。また同日夜(Fの自供とわずか2時間差)、それまでは犯行当夜から一貫して長男Fの関与を否定し続けていたFの母親も、捜査員の事情聴取に対し「息子がやったことを知っていた」と認めた。同日夜、Fは現場にあった血痕・手の傷などを追及されると沈黙してうつむくようになったため、捜査員らがその情報をもとにFを説得したところ、容疑を認めた。そして翌日(1982年6月24日)、Fは具体的な自供を開始したため、神奈川県警捜査本部(藤沢署)は同日20時5分、母娘3人(A・B・C各被害者)への殺人容疑で被疑者Fを再逮捕した。これにより、母娘3人殺害事件は発生から約4週間(約1か月)ぶりに解決した。警察庁は同日付で、一連の連続殺人事件3件を「広域重要指定112号事件」に指定し、関係する神奈川・兵庫両県警本部の協力体制を強化する方針を決めた。 逮捕翌日(6月25日)朝以降、捜査本部は殺人容疑で再逮捕した被疑者Fの本格的な取り調べを開始し、X・Y両事件に関しても追及を開始した。またFは同日以降、母娘3人殺害事件の手口・状況や、X事件・Y事件に関して具体的な供述を開始し、「母娘3人殺害事件前、約20日間にわたり犯行計画を練り上げた。逃走資金を確保するために事前にひったくりをして約70万円を集めた」「一家を皆殺しにするため、Yにも刃物を持たせて押し入った」などと自供した。さらにFが「藤沢事件の犯行時に使用した手袋4足を大磯駅前の公衆便所に流して遺棄した」と自供したため、捜査本部は同日から2日間かけてその便所の便槽を捜索し、ドライブ用手袋3足・軍手1足を発見した。血液鑑定により、被害者母娘3人と同じA型の血液が付着していたため、「Fが母娘3人殺害事件の際に使用し、被害者の返り血を浴びたもの」と断定された。 捜査本部は6月26日11時、被疑者Fの身柄を横浜地検へ送検した。送検後、6月26日 - 9月9日まで長期にわたり、横浜地検の検察官が取り調べを担当したが、被疑者Fは一連の連続殺人事件に関して詳細に供述した。また凶器も販売ルートが断定され、藤沢事件・Y事件の2件はほぼ完全にFの犯行と断定された。しかし一方でX事件は有力な物的証拠を欠き、Fが「事件後、六郷橋から多摩川に捨てた」と自供した凶器も発見できなかった。また、X事件と密接に関連していた脅迫事件は否認し続けたため、捜査本部は最初の逮捕容疑だった脅迫容疑について20日間の拘置期限が切れた1982年7月5日付で処分保留とした。なおY事件の被害者である少年Yについても捜査本部・横浜地検により、母娘3人殺害事件の共犯と断定され、被疑者死亡のまま書類送検されたが、横浜地検は9月30日付で被疑者死亡を理由に不起訴処分とした。 後述の起訴を控え、藤沢署捜査本部は同年7月14日9時30分から被害者A宅に被疑者Fを同行し、約2時間の現場検証を行った。これにより、母娘3人殺害事件の裏付け捜査を完了した。
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