最初の逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 18:30 UTC 版)
ロベルト・エスコバルの著書『The Accountant's Story』では、中流階級の出身で地味な存在であったパブロが、いかにして世界有数の富豪の1人に伸し上がったか、が語られている。パブロは1975年からコカイン稼業を展開し始めた。コロンビアからパナマを経由する形でアメリカ合衆国への密輸経路を確保し、航空機を何度も飛ばした。パブロの息子・ホワンによれば、「父はリアジェットを含む大型の航空機を15機、ヘリコプターを6機購入したのち、父の友人の1人が航空機の着陸の最中に機体を破壊されて死亡した」という。パブロは、残された残骸の部品から航空機を復元し、のちにアスィエンダ・ナポレス(Hacienda Nápoles)にある自身の所有する放牧場の門の上に、この復元した機体を吊るした。1976年5月、パブロは部下数名とともに逮捕された。彼らはエクアドルから重い荷物を持ってメデジンに戻ろうとした際に、18kg分の白い練り物にしたコカインを所持していた。当初、パブロは自分を裁判にかけようとしたメデジンの裁判官に賄賂を送って買収しようとするも、失敗に終わった。何ヶ月にもわたる法廷での論争ののち、パブロは自身を逮捕した警官を殺すよう命じた。その後、この事件は不起訴処分となった。この出来事は「賄賂や殺人を駆使して当局への対策を講じようとするパブロのやり方の始まりとなった」という。
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