赤軍支配下の尼港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 08:50 UTC 版)
ニコラエフスクに入城したパルチザン部隊は、資産家の自宅や公共施設、アパートなどを接収し、分宿した。入城セレモニーの後、トリャピーツィンは、赤軍司令部によって、自身がニコラエフスク管区赤軍の司令官に任命されたことを宣言し、本部はノーベリ商会の館に置くことと、赤軍の人事を発表した。参謀長はナウモフ。レホフとニーナ・レベデワ・パウロウナ・キャシコが本部宣伝部門指導者。チェーカー3人、軍事革命裁判所メンバー5人、などである。続いて、全公共機関には監視員が派遣され、印刷所が接収されて、町の新聞はすべて発行禁止となった。またすべての職場で労働組合を組織することが命令され、組合員に加入しなかったり、受け入れられなかった者は、「人民の敵として抹殺される」と発表された。同時に、チェーカーとパルチザン部隊の活動が始まり、公共機関、ビジネス界で重要な地位にある市民たちの資産没収、逮捕が発令された。 ソ連側文献によれば、2月29日、ニコラエフスクにおいて第一回州革命執行委員会が開催され、ロシア人が所有する大企業、銀行、共同組合を国有化し、ロシア人所有の小企業と外国人所有の大企業を監査して、必要な場合は徴発することが決められた。また組合員となった市民の労働に対しては、現物支給を行い、配給制が計画されていた。 最初の逮捕者は、400人を超えたといわれる。白軍の将校にはじまり、ついで白軍兵士や出入り商人、企業家、資産家、立憲民主党員、公務員、知識人、聖職者、個人的にパルチザンの恨みを買っていた者 など、女性も年少の者も区別無く投獄され、拷問にあい、処刑された者も多数にのぼった。 銀行や企業、産業、商業の国有化が開始され、投獄された人々の資産は没収された。徴発委員会が組織され、個人宅に押し入って金銭、貴金属類などを奪ったが、それに名を借りて、個人的な略奪も横行した。逮捕者の数は増え続け、ニコラエフスクの住人は、パニックに陥っていた。
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