最初の躍進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:38 UTC 版)
ホルシュタイン=シャウムブルク伯エルンスト(後に侯に昇格)が1606年にシャウムブルク家の居館をシュタットハーゲンからビュッケブルクに移したことで、こうした状況は一変した。これ以後、この町の発展はシャウムブルク家のそれと密接に結びつけられた。エルンストの治世中に城は何度も改修を重ね、執務館の周囲の厩舎や城門までもが改修された。ノイエ通り、ザック通り、バーンホーフ通り南部が設けられたが、これらの通りは舗装されていた。シュール通り(学校通り)沿いに児童学校が造られ(現在の市立図書館の位置)、城門の近くには旧市庁舎(現在の建物はその後継)やその向かい側には財務局(現在は市の機関が入るオフィスビル)が建設された。メインストリートが市の防衛施設を通り抜ける箇所には楼門が設けられた。西のミンデン通り/ランゲ通りが通るのが「ウンテレス・トーア」(「下の門」。「ミンデン門」とも呼ばれる。)、東のオーバートーア通り/ランゲ通り方面が「オベーレス・トーア」(「上の門」)である。 1609年エルンストはこの街に都市権を授けた。1611年から1616年に当時はまだ自由耕作地だった土地にビュッケブルクの市教会が建設された。この教会は伯領が宗教改革を遂げた後2番目に建設されたプロテスタント教会であった。これらのできごとはビュッケブルクが繁栄の絶頂を迎えたことを示している(p. 62) (p. 121) (pp. 2-12)。
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