東大助手時代とは? わかりやすく解説

東大助手時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:36 UTC 版)

瀧庸」の記事における「東大助手時代」の解説

1930年昭和5年)、卒業に当たり東京帝国大学動物学教室助手採用されることになった。ここでは昆虫学分野限らない貝類、特にヒザラガイ類研究できることになった。弟、巌との共著の"日本産ヒザラガイ類研究" は第6報まで出た。しかし1932年昭和7年)の春に毎日横浜本牧から1時間半ほどかけて通勤していることが身体応えたのか、慢性の腎臓炎になり約3ヶ月自宅静養しなければならないことになった回復後、弟に忠告され東大医学部裏の民家一室借りて単身住み週末だけ横浜帰宅するという状態が長く続いた自身勉学心があったことに加え毎日家族とは会わないし宿でもゆっくりくつろぐほどの所でないため、朝は朝食後す研究室出て、夜は夕食後も遅くまで居残るということ自然になって、軟体動物全体、あるいは動物学全般について広い勉学をした。各地から寄せられヒザラガイ類その他の標本調べ次第整理していった。1933年昭和8年秋に岩波講座生物学の『腹足類弁鰓類』を出版したが、これは日本初め書かれ頭足類を除く軟体動物教科書ともいうべきものであるヒザラガイ類分類をする傍、ヒラフネガイ・ツメタガイ・ミウライモガイなど諸種腹足類解剖を主とした報告書いた1936年昭和11年)には早稲田大学徳永重康指揮による第一次満蒙学術調査研究団の報告としてショウトクヒメタニシ Cipangopaludina chengtenensis (Is. Taki, 1936) [syn. Idiopoma chengtenensis Is. Taki, 1936]、ヒロクチモノアラガイ Radix auricularia (Linnaeus, 1758)、ヤマホタルガイ Cochlicopa lubrica (O. F. Müller, 1774)、マンシュウマイマイ Bradybaena (Manchurohelix Iw. Taki, 1936)lavrushini T.D.A. Cockerell, 1896 の各種について詳しい解剖分布・分類上の位置等を多数図版をつけて説明した力作出した1938年昭和13年)には、かねてから準備していた陸奥湾ヒザラガイ類報告東北大学理科報告英文出た。これは陸奥湾採集されヒザラガイ類研究で、種数21種で内4種新種含み各種外形・殻板肉帯上の鱗片歯舌等を多数図版添えて詳細に記載し、また各種分布詳説したもので、日本産ヒザラガイ類文献として一つの注日すべき位置占めるものとなった。これを主論文として1938年昭和13年4月27日東京大学から理学博士学位授与された。1938年昭和13年5月黒田徳米台北帝国大学転勤になるのに伴い、緊急理事会催して協議しヴヰナスの編集出版を庸が引き受けることになった京都誕生した日本貝類学会の中心東京移り南京1942年昭和17年)に転出するまで続いた同年9月東横百貨店貝類展覧会催されたが、これは貝類学会が一般大衆啓蒙的運動をしたことの最初のもので、庸は何日間か赴いて公衆展示品説明をした。一方ツノオリイレ類・カリバガサ科・ヒザラガイ類新種について報告もしており、1938年動物学雑誌50巻にて"日本近海産軟休動物分布に就ての考察"を報告した。なおこれついてはより詳細日本学協会講演した要旨日本協会報告, 14 (1939):316 − 9)。同年秋に貝類学創立10周年記念大会大阪市赤川小学校催し、リュウグウボタル類とマルフミガイ類の分類について講演した1939年昭和14年9月には平瀬信太郎逝去したが、氏は自身貝類学関係の後のことは滝さんにお願いするようにと遺言していたという。同氏写していたヒダリマキマイマイ写真表紙画にして追悼記念号を自ら企画し翌年出した(ヴヰナス、10巻1号)。1939年昭和14年3月には動物学会例会でウミマイマイについて講演したが、その内容発表されておらず南京止め置きのため資料もないので詳細不明であるが、前年秋に大阪から熊本と学会に引続いて出席した帰途福岡県 三池附近立寄って親しく採集して帰っているため、形態・生態について詳しい記録作っていたことは確かである。1939年昭和14年11月興亜院嘱託として南京杭州出張し中支残存し貝類標本整理当たった。翌15年1940年6月から9月の約3ヶ月間、同様に興亜院嘱託隊長東大助教授多田文男に、内蒙古学術調査動物学班長として出張し同地動物について広く調査したが、その様子を3篇書いた。さらに翌年の夏にも約3ヶ月間、第二次調査参加した第1回探検報告として"蒙古に於ける動物分布相に就て"という単行本刊行した61種の巻貝二枚貝記載した"満洲陸水貝類"を1940年昭和15年7月出版し、翌41年には"タイワンカクタニシの解剖"を書いた

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