東大医学部との癒着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 14:17 UTC 版)
「宇都宮病院事件」の記事における「東大医学部との癒着」の解説
この頃から、宇都宮病院は様々な業種に進出して多角経営を行い、宇都宮市では報徳グループとして大きな存在となっていく。また、この時期は東大の医師たちは、宇都宮病院と共同研究をしており、宇都宮病院の入院患者を研究対象として、数多くの論文が発表された。症例検討会を録音したカセットテープには、宇都宮病院内で行われている入院患者に対する虐待行為が話題になっていることが記録されており、東大の医師たちが、宇都宮病院の内情を知っていたことが明らかになっている。 しかし、東大の医師たちはそのような状態を黙認し、宇都宮病院から謝礼や研究費を受け取っていた。東大の医師たちが研究目的として宇都宮病院を利用したように、宇都宮病院も東大の医師たちを利用した。宇都宮病院の目的は東大の医師たちの名義を借りた常勤医および非常勤医人数の水増しであり、そして、東大というブランドを利用した病院の見かけ上の格上げである。 1981年(昭和56年)、宇都宮病院の人事制度が大幅に変更。45歳で昇給を停止し、55歳で定年退職となった。この人事制度変革は、人件費の圧縮はもとより、職員に自己都合退職させることを意図している。そして、それによって生じた欠員の補充は、賃金の安い若年労働者を雇用することで補おうとする方策である。本事件が明るみに出た1984年の人件費率は26%で、一般的な私立精神科病院の半分であった。 同年、宇都宮病院の母体である医療法人報徳会は、東京都文京区本郷に、報徳会本郷神経クリニックを開院する。このクリニックには、名目上の所長はいるのだが、実質的に所長としての役割を果したのは、斎藤陽一(東大病院外来医長)であった。斎藤は、東京大学の研究費で購入したコンピュータを同クリニックに設置し、患者の検査結果をデータベース化していた。宇都宮病院では、同年から3年余りの間に、220人の入院患者が死亡している。
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