教義上の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 21:51 UTC 版)
伝統仏教13宗はいずれも大乗仏教である。信者数・規模としては、 鎌倉仏教(浄土宗・浄土真宗、日蓮宗、禅宗)が大勢を占めるが、これら鎌倉仏教は、法華経を根本経典としながらも他経典や密教まで大乗仏教を広く取り入れた天台宗(延暦寺)を母体として(あるいはその影響下で)誕生・発展したものである。また、その天台宗の開祖である最澄は、三経義疏で法華経を重んじた聖徳太子の影響の下で、法華経を根本経典とする(中国の)天台宗に傾倒したとされている。このようなつながりの中に、聖徳太子から最澄を経て、鎌倉仏教から現在に至るまでの、日本の仏教の大きな潮流を見ることができる。 日本の内外いずれにおいても、大乗仏教では、出家者のみならず在家者も含めた一切の衆生の救済を掲げるが、日本の仏教、特に、平安二宗(天台宗、真言宗)と鎌倉仏教では、「山川草木悉有仏性(成仏)」とも表現されるように、人間のみならず、動物、植物、更には山川といった無機の自然までも仏性を内包しているとの世界観が概ね共通している点に特色がある。これは、仏教伝来前から日本に根付いていた自然信仰(アニミズム)が仏教に反映したものとされている。その過程としては、特に、日本の仏教の転換期となった平安二宗(天台宗、真言宗)が、いずれも神や死者(霊魂)のいる場所とされてきた「山」を本拠とする「山岳仏教」となったことが大きな影響を与えたとの指摘のほか、平安二宗そのものの自然信仰との親和性、つまり、太陽神起源の大日如来を信仰の中心に据えるなど自然信仰が元々織り込まれている真言宗はもちろんのこと、天台宗においても、根本経典である法華経が救済の平等性を強調するものであるため、万物が平等に仏性を有するとの思想と親和的であったとの指摘もされている。 また、明治維新による強制的な神仏分離が行われる以前は、神道の神と仏は一体で混淆した信仰体系であった(詳細は「神仏習合」を参照)。日本に仏教が伝来したのは『日本書紀』によると、飛鳥時代、552年とされ、仏は新来の「神」として敬われた。6世紀末には既に神宮寺を建立したとされ、日本の仏教は当初から神と仏は同じものとして信仰されていた。その素朴な観念は本地垂迹説として理論化された。さらに日本史における画期となった戦国時代には、天道思想による「諸宗はひとつ」とする統一的枠組みが形成されるようになった。 このように日本の仏教は、日本の文化的・精神的土壌の中で、固有の展開・発展を遂げたもので、インドで釈迦の説いた初期仏教と様相を異にしていることは否定できない。一方で、例えば、親鸞の他力思想や日本における禅宗の展開・浸透について、日本の精神的土壌が仏教を通じて顕現したものであるとするなど、狭い意味での仏教の垣根を超えた形で、日本の仏教の意義・価値を積極的に見出そうとする言説もある。 また、日本の仏教は、日本の社会・文化全体に有形無形の影響を与えてきたもので、宗教以外の分野への思想的影響の例として、禅の精神を取り入れたとされる茶道などの伝統文化があるほか、近現代においても、日本の仏教思想が反映された心理療法とされる森田療法が挙げられるとともに、河合隼雄によって日本に普及されたヨーロッパ発祥のユング心理学に基づく心理療法の過程においてさえ、日本人の深層心理への仏教の影響が色濃く見出されるため、仏教の知見・視点が大変有用である旨の指摘がされている。また、現代においては、仏教における瞑想・禅の手法を基礎としつつ非宗教的な瞑想技法として体系立てたマインドフルネスが、非仏教国から日本に紹介されるという逆輸入の現象も生じている。
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