政治的イスラムとライシテの右傾化とは? わかりやすく解説

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政治的イスラムとライシテの右傾化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 21:14 UTC 版)

ライシテ」の記事における「政治的イスラムとライシテの右傾化」の解説

ジャン・ボベロによると、1989年まではカトリック教会との対立においてライシテ論じられてきたが、これ以降イスラム教ライシテをめぐる議論焦点となり、フランスにおけるイスラム教拡大ライシテを「深いところで変える」ことになった。ボベロは1989年を「冷戦の終結イスラムという新たな政治的恐怖誕生」の年と位置づけている。 1989年は、イラン・イスラム共和国指導者ホメイニ師ファトワ発して幕を開けた2月)。作家サルマン・ラシュディが『悪魔の詩』のなかで預言者ムハンマド冒涜したとの理由死刑宣告されのであるこの年終わり11月)には、資本主義西洋共産主義諸国分断する鉄のカーテン」を象徴していたベルリンの壁崩壊する東西対決それにともない双方抱いていた恐怖代わり、「政治的イスラム」という新たな恐怖生まれた。…一部イスラム対す恐怖支配的な趨勢となるのは、特に2001年アメリカで9・11テロ起きてからのことである。 一方フランス国でも、1989年秋、パリ近郊クレイユ市でイスラム系の2人女生徒スカーフ校内着用していることを理由に、教師より教室に入ることを禁止されるという事件が起きたまた、歴史・政治学者ラファエル・リオジエ(フランス語版)は「イスラム化監視機構」などの反イスラム団体生まれた2003年ライシテ概念大きく変わった指摘するこの年ジャック・シラク大統領の下、ジャン=ピエール・ラファラン首相フランソワ・バロワン議員報告書作成求め、これに対して議員公立学校におけるスカーフ着用禁止提案する新しライシテ」と題する報告書提出した。 ジャン・ボベロはこの「新しライシテ」は1905年ライシテ法の精神反教権主義反共同体主義 ― を受け継ぐものではなく宗教戦争フランス革命よりはフランス植民地主義時代につながるもの、「超国家的政治的イスラム」よりは「グリーバリゼーションの地政学」に対応したものであり、「二つフランス争い」を存続させることになった指摘するまた、政治よりはメディア作り上げた事実」に基づくものであり、宗教に対して過度に寛大なアングロ=サクソン共同体主義」に「例外的なフランスライシテ対置させ、さらには、「ライシテ右傾化」(ナショナル・アイデンティティ方向への傾斜)を招きとりわけ極右ライシテ支持派僭称したことが左派内に対立生むことになった分析している。 また、法学者のステファニー・エネット=ヴォーシェとヴァンサン・ヴァランタンもバロワン報告書新しライシテ」は1905年ライシテ法により保障され信教の自由反する「監視ロジック」であり、「宗教における目立ったもの、他と異なるものを排除しようとしている。共に生きるという理念蝕むばい菌のように思われている宗教を「殺菌する」ためにライシテ利用しているのだ。市民公共の場に入るときに、他と共有できないものは捨てなければならない。この広義ライシテ右派だけでなく左派支持しているが、1905年ライシテ法に基づくと言いながら、実はこれに違反するのである政治的言説においてもメディアにおいても、まるで自明のことのように、ライシテ理念脅かされていると言う。まるで、ライシテ国家義務ではなく一つ社会現象あるかのように」と批判している。 実際、このバロワン報告書受けてジャック・シラク大統領が、ベルナール・スタジ(フランス語版)を委員長とする「共和国におけるライシテ原則適用に関する検討委員会」(スタジ委員会)を創設した。さらに、スタジ報告書受けて、非宗教公立学校における「目立った」(ostensible宗教的標章着用禁じ2004年3月15日付法律(「宗教的標章規制法」:日本語で「宗教シンボル禁止法」と表現されることが多いが、「宗教的シンボル」または宗教的標章全面的に禁止」されたわけではない)の成立を見ることになった。既に1989年11月国務院公立学校における宗教的標章着用は、それが「これ見よがし」(ostentatoire)なやり方でなされなければライシテ両立可能だという声明出していたが、ジャン・ボベロは「これ見よがし」(ostentatoire)から「目立つ」(ostensible)へ用語の変化に「ひとつの変質隠されている。もはや振舞いだけを違法とするのではなくいくつかの標章そのものが、目立ったやり方宗教的帰属表明するものとされるようになったのだ。ものの見方本質主義になっている」と指摘する。 こうして「新しライシテ」により共和国基本原則であるライシテ国家中立性において本質的な変化生じ、その主体国家から市民社会へ、そして公務員から公共の場利用者移行しライシテフランス社会の「世俗化」との区別曖昧になった。

※この「政治的イスラムとライシテの右傾化」の解説は、「ライシテ」の解説の一部です。
「政治的イスラムとライシテの右傾化」を含む「ライシテ」の記事については、「ライシテ」の概要を参照ください。

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