所得税法の歴史
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日本の所得税は1887年に、所得税法(明治20年3月23日勅令第5号)3月23日公布、7月1日実施により導入された。導入の当初は、所得金額300円以上の高額所得者のみを納税義務者としていたことから、名誉税とも呼ばれた。税率は最小1%、最大3%であり、税収に占める割合は僅かなものであった。しかし、酒税と地租以外有力な税収を持たない明治政府にとって、将来的には公平な負担をもたらす有力な税収となるとして期待されていた。帝国議会制定前に制定され、かつ、「所得税法」という題名が付されていたが、法形式が勅令であったので、大日本帝国憲法施行後は、大日本帝国憲法第63条の適用により有効とされた。1899年に所得税法 (明治32年2月13日法律第17号)が制定され、法人所得を第一種所得として課税するようになった(日清戦争後第2次増税の一環)。 20世紀に入ると税収構造が変化する。産業革命によって産業構造が変化し、産業の高度化が進展する(ペティ・クラークの法則)。それに伴い所得税の税収が伸び、地租の税収を追い抜いた。1913年4月8日、所得税法改正、非常特別税法廃止がそれぞれ公布され、非常特別税を所得税に併合して減額した。日露戦争後の税制整理が終わった。1918年以降は酒税と首位を争い、1920年に、全部改正され、所得税法 (大正9年7月31日法律第11号)で増税され、所得税は、基幹税としての姿を整える。関東大震災後の頃には所得税が税制の中心的存在と認識される。 昭和に入ると、日本の対外進出が積極化する。日中戦争(1937年 – 1945年)・太平洋戦争(1939年 – 1945年)などの第二次世界大戦に突入することで多額の税収が必要になり、税制も戦時体制に組み込まれる。1940年の全部改正で、所得税法 (昭和15年3月29日法律第24号)となり、所得税から法人への課税(法人税)が分離し法人税法 (昭和15年3月29日法律第25号)が制定された。そして、総合所得税と分類所得税を採り入れ、所得税を分類し基礎控除を引き下げることで所得税を大衆化した。さらに源泉徴収も拡充し現代の所得税の仕組みが整う(「1940年体制」)。 1945年、日本は第二次世界大戦で敗戦し、GHQの統治下に下る。日本国憲法の制定に伴う、所得税法の全部改正で、所得税法 (昭和22年3月31日法律第27号)となり、申告納税制度の導入や総合課税への一本化が行われた。1948年には租税法学者カール・シャウプらがシャウプ勧告を提出、総合累進所得税や各種控除、青色申告制度などを提唱した。日本政府はこれを受けて税制を改正、1950年に所得税法の一部を改正する法律(昭和25年3月31日法律第71号)として、法律となった(シャウプ税制)。しかし、1953年の改正(所得税法の一部を改正する法律(昭和28年8月7日法律第173号)では逆コースの流れで多くの修正がくわえられた。その後、日本は高度経済成長によって税制の自然増が続く時代を迎える。 1965年に、所得税法は全部改正される。大蔵大臣田中角榮の説明では、この理由は「納税者の理解を容易にする見地から、規定の体系的な整備と表現の平明化を中心とする税法の整備をはかるため」、また「租税法律主義をたてまえとしつつ、同時に、一般の納税者にわかりやすい法令体系にするため、現在政令または省令で規定されている事項で重要なものは法律において規定することとするとともに、規定の配列、表現の平明化等についても理解しやすいものにする」ため。 1973年のオイルショック以降、日本の経済成長率は低下し、社会構造の変化に税制が対応できていないと認識されるようになる。そのような認識を受けて、1988年に、「所得課税を軽減し、消費に広く薄く負担を求め、資産に対する負担を適正化すること」とする税制の抜本改革が行われる(昭和63年改正)。個人所得税の税率が簡素化、最高税率も引き下げられた。
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