1940年体制とは? わかりやすく解説

1940年体制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 07:42 UTC 版)

構造改革」の記事における「1940年体制」の解説

野口悠紀雄#1940年体制」も参照日本的システム=構造問題」という議論は、日本国内広範な支持基盤持っている。その最大想源は、経済学者野口悠紀雄1995年著書『1940年体制-「さらば戦時経済」』であり、この書は1990年代の日本において、構造改革主義バイブル役割果たした野口悠紀雄は、戦後の日本経済高度成長へと導く基盤となった日本的雇用間接金融システム成立したのは、日本経済戦時経済への移行完成した1940年ごろのことであり、戦後日本の経済システム1940年代戦時統制経済引き継いで形成されたとしている。野口悠紀雄は、「日本的システム」は日本経済欧米への『キャッチアップ』の段階にあったときには機能したが、その段階を終えた日本にとっては成長障害となっており、そのためには「構造改革」が必要であると主張している。 経済学者原田泰は「日本経済構造問題とされるものは、1980年代からすでに存在していた。1990年代経済停滞構造原因だとする議論成り立たない」と指摘している。 経済学者伊藤修は「戦時統制戦後影響与えたことは否定できないが、戦後システム固まってしまったとする議論言い過ぎである。戦後の各時点において、その仕組み選択され続け機能していたと考えるべきである」と指摘している。 経済学者野口旭田中秀臣は「『体制』『システム』という言葉によって、思考単純化ステレオタイプ化には大きな問題がある」と指摘している。野口旭田中秀臣は「『金融護送船団方式』は結果として膨大な社会的非効率性を生んだ重要なのは、こうした政府介入による社会的非効率性は、明確な経済学根拠に基づくものであり、『体制』『システム』という言葉によって曖昧化されるべきではないという点である。金融護送船団方式非効率だったのはバブル崩壊よりも昔からであり、突然そうなったわけではない。それは、日本マクロ状況とは無関係に生じていたのである」と指摘している。 野口旭は「科学反証可能であるが、『1940年体制』というイデオロギー反証不能である」と指摘している。 田中秀臣は「1940年体制テーゼでは、資源誤った配分というミクロ的な非効率性と、資源遊休失業)によるマクロ非効率性を区別する視点欠如している」と指摘している。 2007年10月19日渡辺喜美行政改革担当大臣経済同友会会員懇談会で「現状続けることが日本最大の不幸である。民主導による競争原理導入することが、1940年体制のDNA変えることになる」と指摘し、1940年体制の打破必要性強調した渡辺は、競争をやってはいけないというDNAは、企業国家目的奉仕させる目的1940年確立した国家総動員体制生み出した、という持論持っている

※この「1940年体制」の解説は、「構造改革」の解説の一部です。
「1940年体制」を含む「構造改革」の記事については、「構造改革」の概要を参照ください。

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