1940年巡洋戦艦案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/11 06:11 UTC 版)
「1940年度巡洋戦艦試案」の記事における「1940年巡洋戦艦案」の解説
第一次世界大戦後、戦艦の建造について再び研究が進められた。だが、ワシントン海軍軍縮条約の結果、新たなる艦種重巡洋艦が登場し、また第一次世界大戦敗戦後の不況にあえいでいたドイツが装甲艦「ドイッチュラント級」を竣工させ、ドイツ海軍の再興が始まると状況は変わった。列強海軍が建造するであろう重巡洋艦の備砲は最大で8インチ=20.3cmであり、オランダの既存軽巡洋艦に広く採用されている15cm砲では射程距離が劣るため、アウトレンジされる可能性が高かった。海防戦艦は主砲が28.3cmであり重巡洋艦に対して火力の面では対抗できるが、速力が遅いので自らの有利な状況で相手と戦闘を行うということは期待できなかった。そしてドイツ海軍の28cm砲を主砲とするドイッチュラント級に対抗可能なオランダ戦闘艦は存在しなかった。それに加えて1930年代に極東における日本の勢力圏が拡大されるにつれて、危機感を抱いたオランダは1939年に巡洋戦艦の建造を計画し、1940年には計画が承認された。これが本案である。 設計は国交関係修復の意味をこめてドイツに依頼した為に外観はシャルンホルスト級戦艦に似ていたが、船体構造はアメリカ式とイタリア式の混在で、防御力も傾斜装甲を採用するなどシャルンホルスト級よりも進んでいた。本案が対抗すべき艦として想定されたのは日本海軍の戦艦ではなく、条約型重巡洋艦やポケット戦艦であった。その為、主砲には過去の海防戦艦で実績のある28cm砲を採用することになっていた。1944年までに3隻を建造する計画だったが、オランダがドイツの侵攻を受け占領されたことにより本案も実現することなく終わった。
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