怪奇的神経障害による禁止令と楽器の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 17:36 UTC 版)
「アルモニカ」の記事における「怪奇的神経障害による禁止令と楽器の衰退」の解説
練習や演奏に熱中した多くの人が、アルモニカのせいで神経障害やうつ病、目まい、筋肉の痙攣などに罹ったと言い出した。このため、アルモニカはその美しい音色とは裏腹に大変怖い楽器だという噂が口々に伝わって、人々の恐怖感が煽り立てられた。実際に、精神病院に入院したり夭折した者もいたが、それがますます根拠のない憶測を招き、えも言われぬ甲高い響きが死者の魂を呼び寄せて神秘的な力を宿らせ、聞いた人の頭をかき乱しておかしくしてしまったなどと口々に言い始めるようになってしまった。更には演奏会場で子供が死亡するという事件まで発生してしまい、その事件をきっかけに、ドイツのあちこちの地方で警察当局が全面的にアルモニカ演奏の禁止令を発令するまでに発展した。家庭内の痴話喧嘩から、早産やペットの痙攣まで、おかしなくらいにそれらが次々とアルモニカのせいにされ、奏しているのを発見されると逮捕される始末であった。 今日に催眠術と呼ばれる技術を最初に始めたのは、モーツァルトのパトロンでもあったウィーンの医師フランツ・アントン・メスマー(Franz Anton Mesmer)であった。メスマーは自ら仮説を立てた動物磁気説に基づき、後世に催眠術や催眠療法と呼ばれるものに近いことを行なった。現代においても、英語で「催眠術」のことを"Mesmerize(メズマライズ)"と言い、「催眠術師」のことを"Mesmerist(メズマリスト)"と言うのは彼の名に由来する。このメスマーの治療では、しばしば締めくくりにガラス製のアルモニカを演奏することでも知られていた。たいへん名の知れた人気の彼は、盲目のピアニスト、マリア・テレジア・フォン・パラディス(Marie Paradies)の治療を依頼されることになったが、視力を一時的に取り戻すことに成功したにもかかわらず、彼女の精神衛生を後に害したとされ、ウィーンから追放されるという処分を受けたほどであった。この歴史的な催眠術の祖が、このアルモニカによって人生最大の転機を迎えることとなったことは有名な話である。 現代においても、当時の神経障害の要因について明確な科学的根拠が解明はされていない。良からぬ噂が楽器に対する精神的な先入観を植えつけたせいとも言われている。一般には三つの説が推測されている。第一に、ガラスとの摩擦によって引き起こされる持続的な振動のせいで、演奏後には指先に痙攣を覚えるが、それが神経を害するというものである。第二に、そこはかとない高音が聴覚から脳を共鳴させ、悪影響を与えるというものである。第三に、柔らかい吹きガラスの類は、鉛を25~40%も含んだクリスタル・ガラスを用いていたため、濡らして触れる指先から鉛が浸透し、鉛中毒を起こしたせいというものである。 しかしながら、第三の説については特に信憑性が低い。鉛中毒は18世紀と19世紀前半において、アルモニカ奏者であろうとなかろうと、ごく一般的な社会的問題であったことは周知の事実である。治療のために医者から鉛の化合物を処方されて長期間服用してきた患者もいれば、食物や飲物の中に防腐剤や甘味料として恒常的に添加されていた酢酸鉛を人々は多く経口摂取していたし、更にスズや鉛の鍋やヤカンなどが調理に使用されていた。また、ワインをはじめとする酸性の飲物が鉛製のピューター管から注がれて飲まれていたのであった。そのため、アルモニカによって指先から鉛が体内に浸透したとしても、その量は、日常的に口から体内に吸収される量に比べ、はるかに微量とみなされている。 第一、第二の説も、はっきりと科学的には証明されていない。 この後、この楽器はすっかりと姿を消してしまったが、後に復興されてから現在に至るまで、多くの人々や演奏家がこの楽器を奏してきた。にもかかわらず、この楽器のせいで精神などをおかしくしたという症例が現代医学の世界に報告されたり、それを証明したという発表はいまだなされていない。現に、アルモニカ発明者本人でさえ、この楽器の無害を自ら証明するために、世評に動じず生涯演奏し続けたが、何事もなく84歳までの長寿を全うしたのであった。現代においては、その不思議な音色ゆえに、真相が不明なままの怪奇な伝説さえもこの楽器のひとつの逆説的な魅力として、世界の人々の興味を強く惹きつけている。 後に鉛中毒を警戒して、ガラス碗に直接指を触れなくても奏することができるよう、ヴァイオリンの弓でこすったり、鍵盤を押すとガラス碗に革やゴムなどが触れて音を鳴らす仕掛けのものも登場したが、演奏効果も芳しくなく、すでに楽器の流行熱も既に冷めてしまっており、発明者の存命中にアルモニカの魅力が再評価されて広く受け入れられるまでの復興は起こらなかった。そうしてこの楽器は、ただの置き物的な調度品として部屋に放置されることとなり、ごく限られた人々の中だけに細々とその存在が受け継がれてきた。 ちなみに、ベンジャミン・フランクリンは発明家としての信念に則り、爆発的な人気を呼んだこの楽器の特許の申請を生涯拒否し続け、発明による喜びを潔く社会に無料奉仕したのであった。
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