復興と観光開発
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「1888年の磐梯山噴火」の記事における「復興と観光開発」の解説
1888年の磐梯山噴火により磐梯山北麓を埋め尽くした岩屑なだれによって、裏磐梯は赤茶けた荒野となった。政府と福島県はこの荒廃した裏磐梯の復興に民間活力を利用しようともくろんだ。国有地であった裏磐梯を民間人に無償貸与して植林をさせ、成功した場合、格安で払い下げることを決定したのである。1901年(明治34年)、白井徳次らが植林事業のために土地借用を申請し、翌年から植林を開始したが事業は難航した。1903年(明治36年)には喜多方町の矢部長吉が名乗りを上げて裏磐梯の植林事業を開始したものの、矢部の全財産を投入しても植林は成功せず、断念に追い込まれた。 矢部長吉の挫折後、植林事業を引き継いだのが遠藤十次郎であった。遠藤十次郎は葛岡庄太郎、松本時正、宮森太左衛門、戸田惣左衛門とともに、1910年(明治43年)に矢部長吉の子である善四郎から裏磐梯の植林事業を引き継いだ。遠藤は林学博士の中村弥六の指導を仰ぎ、植林を開始した。まず埼玉県安行で購入したアカマツ13万本を植林し、後に新潟から購入したアカマツ、スギ、ウルシ、モミジ、桜などを追加で植林した。植林した苗木の約半数は枯死したとされるが、裏磐梯に点在する湖沼近くに植林したものはよく根付き、やがて裏磐梯に緑が戻ってきた。岩屑なだれに埋まった裏磐梯の植生の回復は、自然によるものもあったが、五色沼を中心として遠藤十次郎らの努力によるものも大きかった。そして噴火後100年以上が経過して、植林されたアカマツ林は遷移によって落葉広葉樹林となりつつある。 植林が軌道に乗った1919年(大正8年)6月、遠藤ら5名は福島県に植林成功届と官有地払下願いを提出する。払下げには耶麻郡郡役所の反対があったものの、遠藤十次郎から相談を受けた中村弥六が原敬首相を説得するなどして払い下げを受けることに成功する。払い下げ後、会津若松の老舗呉服屋の主であった宮森太左衛門が中心となって裏磐梯にまず道路を通し、遠藤は宮森太左衛門らとともに磐梯施業森林組合を設立する。そして遠藤と宮森は事業としては成功しなかったものの、磐梯山中腹の中ノ湯付近の噴気を水に通すことにとって造成温泉を作り、その温泉を後に裏磐梯高原ホテルとなる地まで引湯し、別荘を建設した。別荘には宮森の自宅から書画骨董を運び込んで避暑地の別荘としての体裁を整えた。このように裏磐梯の観光開発も始まった。 磐梯山は戦前から国立公園の候補とされていたが、道路が無く宿泊施設も少ないという理由から指定には至らなかった。戦後になって1947年(昭和22年)、福島県観光協会が設立発起人となり、福島県の各市町村長を会員とした「磐梯吾妻国立公園指定期成同盟」が結成され、磐梯山を中心とした地域の国立公園指定運動が開始された。そして1950年(昭和25年)、磐梯朝日国立公園が指定された。同年には裏磐梯観光協会が設立され、その後、交通の便や宿泊施設等が整備されていくことになり、国立公園の指定は裏磐梯の観光地化が進むきっかけとなった。 裏磐梯に車道が通じたのは1954年(昭和29年)のことであった。その後1959年(昭和34年)には磐梯吾妻スカイラインが開通し、1970年(昭和45年)に磐梯山ゴールドライン、そして1972年(昭和47年)には磐梯吾妻レークラインが開通するなど交通の便は大きく改善された。裏磐梯一帯では昭和40年代には民宿、昭和50年代からはペンションの建設が進み、温泉地の開発も進んだ。東京方面から比較的近く、多くの湖沼を擁し、風光明媚な裏磐梯は東北地方有数の観光地となっていった。 また1888年の噴火によって形成された地形を生かしてスキー場が開設された。1958年(昭和33年)にオープンした裏磐梯スキー場は、山体崩壊によって形成された馬蹄型カルデラの北側斜面を利用しており、また磐梯山東麓の土石流が流れ下った琵琶沢では、土砂が堆積した斜面がスキー場に向いていることから、1959年(昭和34年)に磐梯国際スキー場が開設された。スキー以外のスポーツ施設としては裏磐梯にはテニスコート、サイクリングコース、ハイキングコースなどが整備され、また桧原湖でなどでは冬季、ワカサギ釣りが楽しめる。 1988年(昭和63年)、噴火から百周年を記念して磐梯山噴火記念館が開館した。また1957年(昭和32年)、猪苗代町では磐梯山爆発70周年記念追悼会が磐梯まつりと共に行われ、その後も毎年継続開催されている。一方北塩原村でも1970年(昭和45年)より先人供養慰霊祭を兼ねた裏磐梯火の山祭りが始まり、1985年(昭和60年)からは桧原地区で磐梯山噴火の犠牲者を追悼するひばら湖祭りが行われるようになり、ともに継続して行われている。
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