復興と第二京浜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:01 UTC 版)
「東急バス荏原営業所」の記事における「復興と第二京浜」の解説
本土空襲により壊滅的な被害を受けた東京山手線外の復興を担うため、GHQは都内の主要道路から都心、特に東京駅へ直通するバス路線を新設するように指示していた。東急は同じ品川区にあった中延営業所と東京都交通局(都営バス)の共管で雪が谷線を新設。池上営業所の池上線がこれに続き、神明営業所管下でも都心直通路線の要望が出た。こうして神明営業所の前を走る第二京浜国道を経由して、東京駅直通のバスを運行することが企画された。 1950年(昭和25年)、東京駅 - 久が原(現・池上警察署)間で都営共管の多摩川大橋線が運行を開始する。また、久が原から先は東急単独で横浜駅まで運転され、横浜線となった。 一方、大井町線は1951年(昭和26年)に戦前の目蒲電鉄の路線と城南乗合の路線をつなげた循環線として復活。荏原町線は臼田坂を下りたところに設けられた大田区役所(現・大田文化の森)を経由して国鉄大森駅へ向かうというルートに変更されて再開、現在の路線の基礎が早くも完成した。
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