復興から置換まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/08 17:31 UTC 版)
「阪神801形電車」の記事における「復興から置換まで」の解説
復興なった801、831の両形式は851、861、881の各形式とともに5 - 6連で急行運用を中心に充当され、1954年の3011形に始まる大型車の投入後も、武庫川線で運用されていた811以外の全車の客用ドア部分にステップが取り付けられはしたが、基本的な運用形態に変化がなかった。また、1956年には前面左側窓上に標識灯を増設するとともに、室内灯の蛍光灯化を実施、ステップのなかった811も同年に武庫川線用の予備車の814とともに着脱式のステップを取り付けられている。 ただ、この年の9月4日に新在家駅構内で発生した元町行急行と構内入替中の電車との衝突事故において大破した817が同日付で廃車になった。翌1957年には801形のMK型手動加速制御器を1101、1111、1121の各形式から捻出されたRPC-50(801 - 820(817欠))及びPC-5(821 - 830)に換装、これで急行系全形式が自動加速制御となったことから831形の制御器をPC-H(831 - 839、841 - 843、847 - 849)及びPC-4A(840、844 - 846、850)に改造した。 その後も大型車の投入は続くが、急行用の各形式は高速域では「赤胴車」の各形式に遜色がなかったことから、「ジェットカー」と性能が懸絶してしまった普通用の各形式と異なり、この時期には武庫川線の運用を併用軌道線から転入してきた「金魚鉢」こと71形に委ねて全車本線及び西九条駅延伸前の伝法線(現在の阪神なんば線)の運用について、しばらくは急行やラッシュ時の区間急行・準急を中心に、時にはジェットカー量産車である5101形・5201形登場前にはラッシュ時の普通運用に投入されるなど、輸送力増強の一助を担っていた。 しかし、普通車の置き換えが一段落した1963年からは7801形の大量投入に伴ってこれら急行系の小型車の置き換えが開始された。同年5月には801形11両が、9月には801形14両と831形4両が廃車され、翌1964年には2、3月に831形が2両ずつ、5月に831形が5両、8月には801形の残り4両と831形が4両廃車され、9月に831形の残り3両が廃車されて両形式とも消滅した。廃車時に捻出された台車の一部は、851、861、881の各形式に換装された。
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