復職後
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2010年9月21日、起訴休職処分が解かれ、村木は厚生労働省に大臣官房付として復職した。その後9月27日付で内閣府へ出向となり局長級の内閣府政策統括官(共生社会政策担当)に就任し、青少年育成や少子高齢化、自殺、犯罪被害者対策、障害者施策等の担当となった。また、内閣府自殺対策推進室長と内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)も併任した。10月21日から菅直人内閣総理大臣の特命を受け、待機児童ゼロ特命チーム事務局長を併任した。 検察の在り方検討会議では大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件で勾留された一人として意見を述べた。2011年6月から法務省法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会委員を務め、取り調べの可視化に向けた審議などにあたった。 2012年2月、国側から得た刑事補償金を、社会福祉法人南高愛隣会に寄付することを表明し、同年3月「共生社会を創る愛の基金」が創設された。同年9月10日付で、厚生労働省社会・援護局長に就任し、3年3か月ぶりに厚生労働省に局長として復帰した。 2013年7月2日付で、金子順一の後任として厚生労働事務次官に就任した。女性の事務次官就任は、松原亘子労働事務次官(当時)以来、16年ぶり2人目である。 2014年6月18日、国会提出した法案等の文書ミスで、訓告処分を受ける。また、2015年4月8日からの天皇と皇后のパラオ訪問に同行。10月1日付で事務次官を退任。
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