復職と出撃とは? わかりやすく解説

復職と出撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:20 UTC 版)

乃木希典」の記事における「復職と出撃」の解説

日露戦争開戦直前である明治37年1904年2月5日動員令が下り乃木留守近衛師団長として復職した。しかし、乃木にとって「留守近衛師団長」という後備任務は不満であった5月2日第3軍司令官任命された。乃木はこれを喜び東京出発する際に見送りに来た野津道貫陸軍大将対し、「どうです若返ったように見えませんか? どうも白髪がまた黒くなってきたように思うのですが」と述べている。同年6月1日広島県宇品港出航し戦地赴いた。。 乃木第3軍司令官起用され背景について、「司令官のうち、薩摩出身者長州出身者とを同数すべきである」という、藩閥政治結果とする主張もある。しかし、第3軍編成時(乃木任命時)の各軍司令官をみると、薩摩出身者第1軍司令官黒木為楨だけであって薩長同数ではない。満州軍総司令官大山巌第4軍司令官野津道貫薩摩出身者だが、この2人任命されたのは第3軍編成後である。また、既に出征している第1軍および第2軍師団長中将クラス)6名のうち3名が長州出身者だが、薩摩出身者は1名に過ぎないそもそも乃木中将では最古参明治28年昇進組であり、同期岡沢精侍従武官長拝命していたため、乃木大将就任第3軍司令官任命は、通常の序列人事として順当である。 乃木日本を発つ直前5月27日長男の勝典が南山の戦いにおいて戦死した乃木広島で勝典の訃報聞き、これを東京にいる妻・静子電報知らせた電報には、名誉の戦死喜べ記載されていたといわれる。勝典の戦死新聞でも報道された。

※この「復職と出撃」の解説は、「乃木希典」の解説の一部です。
「復職と出撃」を含む「乃木希典」の記事については、「乃木希典」の概要を参照ください。

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