復興から解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 13:51 UTC 版)
このようなリストラを推進したことと親会社の阪神がジェットカー第一世代の代替に新車投入で対応したことから、武庫川車両工業の業績は復活、1980年代中盤以降は急行系車両の新車として8000系を大量に受注したほか、京福と叡山電鉄の新造車の発注もあって良好な経営状態で推移した。8000系の新造は1995年の阪神・淡路大震災の直後まで続き、その後も震災被災廃車車両の代替新造や叡山電鉄900系(きらら)をはじめとした京福・叡山電鉄向け車両の新造が続いたことから、1998年度までは利益を計上することができた。 しかし、これらの車両の新造が一段落した1999年度以降は、阪神の鉄道旅客輸送量が減少したことに加え、車両も普通系、急行系とも更新がほぼ完了して新造時期が10年程度延長したことから、新造車両の発注が大幅に減少、赤字決算に転落してしまう。その後も車両の新造が増加する見込みがなかったことから、阪神は武庫川車両工業を解散、その代わりに車両のメンテナンスに特化した新会社を設立することとした。こうして2002年5月に新会社の阪神車両メンテナンス株式会社を設立してメンテナンス業務を移管、武庫川車両工業は同年9月24日に竣工した9300系9505Fを最後に車両の製造を終了、9月30日に解散し、阪神車輌工業を含む61年の歴史に幕を閉じた。 奇しくも同年には尼崎市のアルナ工機が事業別分社化および鉄道線向け車両製造事業を撤退し(分社したアルナ車両は路面電車製造を継続)、兵庫県内の老舗の2社の車両製造会社が撤退したことになる。
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