IBM時代そして独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 15:43 UTC 版)
「ジーン・アムダール」の記事における「IBM時代そして独立」の解説
IBMにおいてアムダールは「IBM 704」、「IBM 709」、そしてIBM 7030すなわちストレッチ・プロジェクトに携わった。彼は1955年12月、IBMを一旦退職し、ラモ・ウッドリッジ、そしてアエロニュートロニックで開発に従事した後、1960年9月復職している。復職後、彼はSystem/360ファミリー・アーキテクチャーの開発に従事した。1965年IBMフェローに就任し、カリフォルニア、メンロ・パークのACS研究所の主任に就任した。 System/370の開発中に自身の提案が却下されると、1970年再び同社を退職し、カリフォルニア州サニーベールにアムダール社を創設した。アムダールは同じ頃IBMプラグコンパチブルマシンの開発に踏み切った富士通と提携し、IBMプラグコンパチブルマシンの開発を始めた。 富士通からの多大な支援もあって、1975年、アムダール470-V6は出荷された。IBM機より低額で、信頼性が高く、より高速な代替品として提供されたものである。1970年に独占禁止法によりIBMが「アンバンドリング」すなわちハードウェアとソフトウェアを別々に売ることを強いられていたこともアムダールに味方した。アムダール470とサード・パーティの製造会社が提供する互換周辺機器を購入することによって、顧客はIBMのハードウェアを購入せずに、IBMのSystem/360・System/370のアプリケーションを利用できることになった。 アムダールはまたIBMのMVSオペレーティング・システム・ソフトウェアの性能を向上させる VM/PE を開発した。1979年までにアムダール社はV6とV7メインフレームでUSドル換算で10億ドルの売り上げを達成し、世界中で六千人以上の雇用を創出している。同社は富士通の技術者と共同で高性能のディスク・ディバイスと、IBMプラグ・コンパチブル・フロント・エンド・プロセッサー(4705)を流通させることに成功した。
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