サークル費を集め突切る若葉の雨
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評 言 |
掲句は「現代俳句の100冊(75)、『真さらな太陽』の「狭島抄」の中の一句である。人の為に行動する若者の姿が「突切る若葉の雨」の中に表現されている。この句に接した時、私は20代の青春時代を思い出した。20歳の私は、児童文化サークルに参加していた。まさにこの句「サークル費を集め突切る若葉雨」そのものであった。 氏は1918年、茨城県猿島町生子で生まれ、本名木村桂二という。小学校は生子菅村尋常小学校、中学校は県立境中学である。水戸高等学校卒業後東京帝国大学経済学部に入る。戦時特例の繰り上げ卒業となり、大日本兵器株式会社(後の日平産業)に入社、その年肺結核に罹り休職する。金子兜太とは、高校、大学と同窓である。父は小学校校長、県の教育委員を勤めたあと猿島町長になった人である。 俳句は、庶民金庫(後の国民金融公庫)の俳句サークルに入り(俳号木村鉄路)、そこへ指導に来ていた古沢太穂に師事する。その後、肺結核で再入院し、その病院で句会「火の鳥」を作る。この頃「寒雷」に投句する。1951年「道標」創刊に加わり同人となる。復職後札幌支店に赴任し、そこでも俳句サークルを結成し、寺田京子を指導者に迎える。北海道での句をいくつかあげると、 小樽がち日照れば蒼き雪の微笑 風すさぶに石先ず雪解多喜二の郷 マストに眉に雪積みかつ消え釧路川 年代ははっきり分からないが、雪の多い北の風の中、作者の前へ前へと考える思いが感じ取れる。年表によると、俳句人連盟に加入し、古川太穂死後、新俳句人連盟会長になる。 1997年 現代俳句協会企画部長として「現代俳句協会50年史」を編纂し、「あとがき」を執筆した。この年の9月19日亡くなる(享年79歳)。 |
評 者 |
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備 考 |
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