富田左近とは? わかりやすく解説

富田一白

(富田左近 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 06:59 UTC 版)

富田 一白(とみた いっぱく / かずのぶ[注釈 4])は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名伊勢安濃津城主。豊臣秀吉の側近で、奉行衆の1人[注釈 5]


注釈

  1. ^ 富田検校(盲人)。
  2. ^ 佐野房綱の養子。
  3. ^ 黒田用綱の母。
  4. ^ a b 諱とする説では「かずのぶ」となるが確かではない[2]。また名前はかずあきとする説もある。
  5. ^ 守矢家文書』によると十人衆として富田一白、佐々行政寺西正勝毛利吉成堀田一継石田正澄片桐貞隆石川光元山中長俊木下延重の名が挙げられている。
  6. ^ 江戸時代の『野史』では、知信を嫡男の信高の名としている。
  7. ^ ただし天正元年に秀吉に仕官したという話も伝わる[1]
  8. ^ 合計で約4万石。
  9. ^ この頃、5万石。

出典

  1. ^ a b c d e f 宇神 2011, p. 28.
  2. ^ a b 高柳 & 松平 1981, p. 169.
  3. ^ 姓氏家系大辞典2, p. 4019.
  4. ^ a b c 宇神 2011, p. 27.
  5. ^ 村川 2000, p. 37.
  6. ^ 高柳 & 松平 1981, p. 170.


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富田左近(とみた さこん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 00:37 UTC 版)

利休にたずねよ」の記事における「富田左近(とみた さこん)」の解説

利休弟子利休の堺への追放を、忠興知らせた

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