大関・琴光喜名義での野球賭博
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「貴闘力忠茂」の記事における「大関・琴光喜名義での野球賭博」の解説
2010年2月の相撲協会理事選に出馬する貴乃花には「ギャンブルだけはやめてくれ」「違法なギャンブルとか、そういうは絶対にやめてくれよ」「絶対、足元すくわれるから、絶対やめろよ」と言われていた。しかし、同年5月19日発売の「週刊新潮」に大関・琴光喜が野球賭博をしており、暴力団関係者と金銭トラブルを起こしているという内容の記事が掲載された。記事では、16代大嶽も野球賭博に関与しているとされていた。当初は協会の聴取に対し「やっていない。知らない」と否定していた。しかし、2010年6月17日に関与を認め、大嶽部屋で記者会見を行った。16代時津風とともに相撲協会に賭博への関与を認める上申書を提出していたが、力士を指導する立場である師匠による行為から、一部理事からは時津風部屋と大嶽部屋の部屋閉鎖を含めた厳しい処分を求める意見も出た。 同月21日の報道によると、2009年に琴光喜は野球賭博での勝ち金500万円を請求したところ、仲介役の元力士に脅迫され、賭博行為の口止め料として約350万円を脅し取られた。2010年に入ってからも元力士たちは複数回にわたって計1億数千万円を要求したため、琴光喜は16代大嶽と16代時津風に相談していた。同年3月場所中に大阪市内で行われた交渉に16代大嶽は同席していたことが分かっている。 賭博で負けて2000万~3000万円の借金を抱えて返済に困り、琴光喜が一部を肩代わりしていたことが判明し、同月27日の日本相撲協会の特別調査委員会(座長・伊藤滋早大特命教授)に報告された。同委員会は当初の虚偽説明を重視、悪質性が高いとして、琴光喜などより重い解雇以上の懲戒処分とするよう協会に求めることを決定。同月28日までの同委員会の調査に対し「琴光喜関からの借金を原資に野球賭博を行った」と話したことが報じられた。 同日、テレビ朝日系「スーパーモーニング」に出演。同年5月に発覚した大相撲野球賭博問題に関して、琴光喜が当初関与を否定したのは自身を庇ったためであるとして「なんとか琴光喜を助けてもらいたい」と涙ながらに訴えた。 同月30日、16代大嶽は警察の調べに対し「3年前、既に野球賭博を始めていた琴光喜関に頼み、賭博に参加し始めた」と話し、以降は琴光喜を通じて賭け事をしていたと説明していることが分かった。 7月3日に琴光喜は読売新聞の取材に応じ、5月27日の協会理事会で偽証したことを「家族に危害が及ぶのが怖かった。自分が野球賭博を認めることで、一緒に賭博をしていた仲間の力士の関与が明らかになるのはまずいと思い、かばいたい気持ちがあった」と話している。16代大嶽の賭博の金を肩代わりした理由については「仲介役の床山と大嶽親方は顔なじみではないので、自分が間に入ることにした」「(恐喝の)相手は、大嶽親方が賭けていた実態を知らずに私を脅してきたと思う」「350万円を払ってすべてが収まればと思い、支払った。(警察には)自分の賭博があったので相談できなかった」と説明している。 同日、母校である神戸市立兵庫大開小学校は2005年に後援会から寄贈を受けた16代大嶽の優勝額を体育館から撤去し、返還した。6月28日から白い布をかけて隠しており、後援会側から引き取りたいと申し出があったため、市教育委と協議の上決まったという。「法に触れる行為があったのなら教育現場にはそぐわない」と校長は話した。 同年7月4日、相撲協会を退職金なしで解雇された。周囲にも「だから言ったのに」と言われ、大鵬からは「お前、さんざん言ったのに、俺がさんざん助け舟出して、さんざん助けてやったのに、もうあかん」と離縁を申し渡された。一銭もなくなったときに地元の人物が1000万円貸してくれたが、それもギャンブルで使い果たしたという。 同年9月には二宮清純のインタビューに応じ、自身が残っていたら、同年2月の理事選で初当選した貴乃花に迷惑をかけるかも知れず、伝説の横綱であった義父(大鵬)の顔にさらに泥を塗っていたかも知れないと話す一方、自分を庇って琴光喜が解雇になったことは「フェアじゃない」と訴えた。元琴光喜を通じて賭博をしたのは、全て口頭であるため「足がつかない」からであるという。反社会的勢力が野球賭博の胴元であることについては「どうでもいい」「別に身内同士で楽しくやって、おカネだけちゃんとくれるんであれば」と言い切っている。 琴光喜恐喝事件については、元琴光喜ひとりから1億円取ろうとしたというより、番付が一番上だったため代表で脅された可能性があると推測している。同年3月に脅されていたことを警察に相談したら裏目に出た、と説明している。 元妻であった大鵬の三女によると、元夫の「4人とも力士にする」という絶対的な方針のもとに息子たちは相撲を始めており、2004年に隠居の身となった大鵬は孫が後継者となることを夢見て大嶽部屋の改装を始めていた。元夫が相撲協会を解雇となったとき、大鵬は「お前は何も悪くない。堂々としてなさい」と言ってくれたという。元夫の賭博での借金の保証人になってくれた父親を裏切ったという申し訳ない思いから離れて住むようになり、報道陣が張り込んでいない深夜から早朝に運転代行のアルバイトをしていた。インタビュー当時(2018年)においても息子たちの相撲を応援にいくためと貯金のために、週3回、鶏肉店で焼き鳥の串刺し作業のアルバイトを続けている。 長男は中学3年から高校1年にかけての時期で、報道が出る前に家の前にマスコミが張り込むようになったため「あ、悪いことが起きたな」と気づいた。当時、野球賭博のことは知らなかったが、父親が自分のお年玉まで使って四六時中ギャンブルをやっていたことや家の金を使い込んで母親が苦労していることなどは知っており、長男はギャンブルは絶対にやらないと決めているという。また、気分屋である父親のような失敗はしたくないと話している。 4人の息子たちの名前には大鵬の本名からとった「幸」の字が入っており、大鵬は孫たちを溺愛していた。長男に厳しく相撲の指導をしていた貴闘力とは違い、「そんな風にさせなくていいから。好きなことをさせればいい」と常々言っていたという、自分の意志で長男はプロレスラーの道に、次男・三男・四男は相撲の道に進んでいる。親権は元妻が持っていたため、大鵬との交流は続き「中学卒業後に入門すれば、再び若貴ブームのような状況が起こる」とずっと楽しみにしていたという。大鵬は2011年に大嶽部屋の建物を5億円の工事費用を全額負担して新築し、2013年1月に逝去した。
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