大毎監督辞任とは? わかりやすく解説

大毎監督辞任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:34 UTC 版)

西本幸雄」の記事における「大毎監督辞任」の解説

チームリーグ優勝導いた1960年の日本シリーズ終了後在任わずか1年西本大毎監督辞任する。その原因は、日本シリーズ采配にあった三原脩監督率い大洋先勝迎えた第2戦(10月12日川崎球場)の8回表、大毎は、まず先頭打者坂本文次郎セーフティ・バント出塁、続く田宮謙次郎時に土井淳パスボール坂本進塁田宮四球を選ぶ。さらにこの試合本塁打放っていた榎本喜八バント命じてランナーを送らせ、1死二・三塁のチャンス作った。ここで大洋先発権藤正利あきらめアンダーハンドエース秋山登投入し山内一弘敬遠させ、次の谷本稔勝負する作戦出た谷本の第1打のファウルの後、西本スクイズプレイサイン送った。第2打で、谷本サイン通りスクイズ仕掛けたが、打球グラウンドバウンドして捕手土井方向転がった土井即座にボールをつかむと、本塁駆け込んできた坂本タッチした後、一塁送球して打者走者谷本刺しダブルプレーとした。結局大毎はこの試合落とし2連敗喫した大毎オーナー永田雅一試合プロ野球関係者と一緒に観戦していたが、このスクイズを「今のはどうなの?」と聞くと、その関係者は今の場面でスクイズありえない、と説明したため、試合後、永田西本電話入れ、「ミサイル打線を誇る大毎が、好機バントなどというアホらしい作戦を採るとは何事!!」とスクイズの件を非難した。しかし西本も「打線の状態は私が一番熟知しているので、ご安心下さい」と主張して退かなかった。このシーズン大毎18連勝(1引き分け挟む)するなど快調に飛ばしていたが、終盤失速し優勝決めたのは最終戦の2試合前だった。 その後永田の「あのバントはない。評論家みなそう言っている」という言葉に、西本が「作戦監督決めるものです。だからこそ責任もとる。しかし、無責任な評論家事後にいうことによって何かを言われるのは心外です」と反論したため、永田激怒。「馬鹿野郎!!」と西本罵り西本は「馬鹿野郎とはなんですか、撤回しいただきたい」と取り消し求めた。しかし永田応じず、そのまま電話切ってしまい、会話終わった結局日本シリーズ大毎ストレート負け終わり西本現役時代から所属した大毎実質的な解任去った伊集院光によると、TBSに入社した永田の孫の守は「もし横浜TBS大洋後身である横浜2002年買収)が優勝狙えチームになったら、西本さんを監督招いて、『これで亡き祖父許してくれないか』と伝えたい」と語ったという[要出典]。 当時大毎スカウト務め永田雅一のもとにいた青木一三は、西本監督退任について以下のように記している(要約)。「永田シリーズ終了後に一応西本挨拶に来るのを待っていたが、毎日新聞系の球団幹部西本温泉に「隔離」して会わせなかった。これを大映毎日の「二頭政治」の弊害だと考えた永田経営大映一本化し毎日側の役員退任させ、同時に毎日側の役員就任させた西本合わせて退任した。」 これに対して西本1967年座談会で、シリーズ終了後2日ほど自宅帰る気になれず「雲隠れしたものの、青木が言うようなことはなかったと発言戻ったあとに後援者などによる「残念会」の席で「4連敗についてはおわびせにゃいかんな」と電話ダイヤル回しかけたが、「もうやめたらどうか」という声が参加者からあがったため、かけずにそのままになり、足を運んでお詫びをする気にもならないでいたところ、監督スタッフ決まっていたと述べている。西本その後永田のもとに出向いてお世話になりました」とだけ挨拶したという。西本2001年インタビューでは「解任されたのか自分から辞めたのか、どちらかよくわからない」と語っている。 沢木耕太郎は、西本監督辞めたことにより、「(永田は)オリオンズ黄金時代築け潰してしまった」と指摘している。西本次になった監督は、同年セ・リーグ国鉄最下位にしてクビになっていた宇野光雄であり、永田宇野選んだ理由は「元巨人選手知名度がある)」だったからであった。しかし宇野指揮能力お世辞にも高いとはいえず、1961年7月25日東映戦では代打須藤豊送ろうとした際に配慮のない言葉を掛け須藤怒鳴り返されるなどそれまでの上チームらしい緊張感満ちた雰囲気が弛んでしまい2年連続4位に終わって辞任。これ以降オリオンズ低迷するようになり、永田監督苦労し、後の山内一弘トレード放出などによる「ミサイル打線」の解体繋がった西本後年に「公平に見て、本来なら3・4年ミサイル打線をもつオリオンズ天下続いたはずや」と述べている。 第2戦のスクイズ采配波紋呼び、更に大毎第3戦・第4戦と続けて1点差で敗れた。これによって敵将三原監督は、このシリーズ観戦していた石原慎太郎に「三原はおそらく当代ヒーローだろう」と賞賛されるなど、声価高めた一方シリーズ終了後西本三原比較され、特に第2戦のスクイズ采配批判集中した監督1年目にしてリーグ優勝という功績忘れ去られ多く評論家西本クレームをつけた。西本後年、「今でもあのスクイズ誤りとは思っていない」と語っている。

※この「大毎監督辞任」の解説は、「西本幸雄」の解説の一部です。
「大毎監督辞任」を含む「西本幸雄」の記事については、「西本幸雄」の概要を参照ください。

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