大屋新町とは? わかりやすく解説

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大屋新町

読み方:オオヤシンマチ(ooyashinmachi)

所在 秋田県横手市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒013-0051  秋田県横手市大屋新町

大屋新町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 08:46 UTC 版)

日本 > 秋田県 > 横手市 > 大屋新町
大屋新町
大字
横手栄郵便局
北緯39度16分55秒 東経140度33分47秒 / 北緯39.282072度 東経140.563053度 / 39.282072; 140.563053座標: 北緯39度16分55秒 東経140度33分47秒 / 北緯39.282072度 東経140.563053度 / 39.282072; 140.563053
日本
都道府県  秋田県
市町村 横手市
地域 横手地域
人口情報2020年10月1日現在[1]
 人口 1,253 人
 世帯数 480 世帯
設置日 1951年4月1日[2]
郵便番号 013-0051[3]
市外局番 182[4]
ナンバープレート 秋田
ポータル 日本の町・字
ポータル 秋田県
プロジェクト 日本の町・字
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大屋新町(おおやしんまち)は、秋田県横手市大字郵便番号013-0051[3]。人口は1,253人、世帯数は470世帯(2020年10月1日現在)[1]。旧平鹿郡栄村大字大屋新町、旧平鹿郡大屋新町村に相当する。

地理

横手地域の南部に位置する[2]。南端の一部を大屋沢川(寺内沢)が北西に流れ、中央部を国道13号、西部をJR奥羽本線がそれぞれ南北に縦貫している[2]。南部から北西部にかけては平地が広がり、水田はため池によって灌漑されている[2]。北西部には赤谷地・中野の集落があり、南東部には中心集落の新町が、国道13号沿いの堂ノ前には、栄地区交流センターや横手栄郵便局、地域の鎮守である榮神社が所在する[2]。一方、東部は山地で、山裾には中里・鬼嵐の集落が立地し、その背後の斜面ではリンゴの栽培が行われている[2]。また、鬼嵐には曹洞宗の寺院・正伝寺があり、中里には浄土真宗の光徳寺がある[2]

全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[5]都市計画法上の用途地域には指定されていない[6]

小字

2024年令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ[7]デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット[8]、横手市公表のオープンデータ[9]によれば、大屋新町の小字は以下の通りである。

町・字 出典
大字 小字 登記[7] 町字マスター[8] 行政区一覧[9]
大屋新町 字牛首戸
字鬼嵐
字若神子
字若神子蛇ケ沢 ×
字若神子深沢 ×
字若神子大台 ×
字若神子沢 ×
字小松原
字新町
字大平
字中野
字中里
字中里前
字堂ノ前
字白坂
字風平 ×
字仏ケ沢
字平林
字法竜

歴史

正保4年(1647年)の『出羽国知行高目録 下』では、大屋村として大屋新町村と大屋寺内村が総称されている[10]寛永元年(1716年)と万治3年(1660年)の光徳寺文書には横手大屋村、延宝4年(1676年)には大谷村とある[11]享保年間までの村高を記録した郷帳に記載された町名を調べた『平鹿郡御黒印吟味覚書』によれば、元禄年間に大屋新町村と大屋寺内村に分けられるようになったとある[11]。享保15年(1730年)の『六郡郡邑記』には大谷新町村とあり、家数26軒、支郷に中里村(家数23軒)、鬼嵐村(同6軒)、杉野下村(同3軒)がある[12]。同年の六郡御黒印村附帳には、大谷新町村を大屋新町村に、大谷寺内村を大屋寺内村に改めたとの記載がある[11]

大屋新町字鬼嵐には、大屋館(大谷館)と称される中世の城館跡がある。横手城主・小野寺泰道の3男道寿が、寛政6年(1465年)頃に築城、永禄年間には日野備中守、天正10年頃から文禄5年頃にかけて小野寺道治の居城だった[13][14]。大屋館の築城により、城下の大屋村は活気を呈し、寺院が建立されるなど人家も増えていった[14]。東側の横手沢と南側の渓流を水濠として利用し、急な崖をなす三角錐状の高地には二の丸が設けられた。主郭は、それよりやや低い北端の峰に置かれていた[13]

沿革

世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
大屋新町 480世帯 1,253人

人口・世帯数の推移

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。

大屋新町の人口推移
人口
1995年(平成7年)[23]
1,658
2000年(平成12年)[24]
1,524
2005年(平成17年)[25]
1,538
2010年(平成22年)[26]
1,348
2015年(平成27年)[27]
1,283
2020年(令和2年)[1]
1,253

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。

大屋新町の世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[23]
461
2000年(平成12年)[24]
472
2005年(平成17年)[25]
502
2010年(平成22年)[26]
474
2015年(平成27年)[27]
476
2020年(令和2年)[1]
480

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[28]

番地 小学校 中学校
全域 横手市立栄小学校 横手市立横手南中学校

交通

鉄道

町内を奥羽本線が通るが駅はない。最寄り駅は奥羽本線柳田駅

バス

羽後交通
  • 赤谷地(横手・湯沢線、横手・小安線)
  • 大屋中野(横手・湯沢線、横手・小安線)
  • 中野団地入口(横手・湯沢線、横手・小安線)
  • 美砂古(横手・湯沢線、横手・小安線)
  • 柳田(横手・湯沢線、横手・小安線)

道路

施設

  • 榮神社〈太子堂〉(字小松原4番地)[29][30]
    祭神:聖徳太子命天照皇大御神邇々芸命大己貴命少彦名大神 等十八柱[30]、祭日:6月15日[30]
    敏達天皇12年(583年)頃に草創され、後に征夷大将軍坂上田村麻呂東征の際に再建されたと伝えられている。明応延徳の頃、3人の苦行僧が山内村黒沢で修行をしていたが、正伝寺の開山をした大州梵守禅師の徳を慕って、観音寺(正伝寺の前身)を訪れた。彼らが笈に納めてあいた木彫の太子像が安置され、それが太子堂の本尊とされている。その後、この太子像は大屋新町の鎮守として小松原に小祠を建てて遷宮され、やがて明治期の廃仏毀釈により、太子堂から「大谷神社」と改称された。さらに、町村制施行に伴って栄村が発足した際、旧6村の神社を合併され、全村の鎮守として「榮神社」となった[31]
  • 正伝寺(字鬼嵐117番地)[32]
    山号:祝融山、宗派:曹洞宗、本尊:観世音菩薩[32]
    菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』によれば、相模小田原の海蔵寺三世大州梵守が、大和国真言宗長谷寺から拝受した聖観音像を捧持し、大屋寺内村の大屋沼のほとりに「長谷山 観音寺」として建立したとされる[11]。その後、大屋寺内字寺内に大伽藍を建立するも、明暦3年(1657年)の[32]火災により焼亡[11]。再三の火災を恐れ、現在地に移転の上、祝融山正伝寺と改めた[32][11]
    本尊の観世音菩薩は、東北地方で最古の金銅仏と言われており、典型的な白鳳仏の技法が用いられている[32]。秋田県指定有形文化財[32]
  • 光徳寺(字中里64番地)[32]
    山号:新田山、宗派:真宗大谷派、本尊:阿弥陀如来[32]
    釈ノ円祐(俗称・新田次郎右衛門尉興徳)が、戦国時代陸奥国黒沢尻(現・岩手県北上市)に興徳寺を建立し、永正12年(1515年)に光徳寺と改名した。永正16年(1519年)には、飢饉を避けるために平鹿郡馬鞍村上之台(現・秋田県横手市平鹿町醍醐)に移転。三世浄専の時に大屋城主・小野寺家臣、日野備中守の帰依により永禄年間に現在地へと移転した[32]
  • 白梅保育園(字中野358番地1)[33]
  • 横手栄郵便局(字新町192番地1)[34]
  • 総合交流促進施設「さかえ館」〈栄地区交流センター〉(字堂ノ前32番地1)[35]
  • 横手警察署 栄駐在所

脚注

  1. ^ a b c d e 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat)”. 総務省統計局 (2020年10月). 2025年6月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 角川日本地名大辞典編纂 1980, p. 789.
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2022年3月21日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2022年3月21日閲覧。
  5. ^ 都市計画区域・区域区分(線引き)”. 横手市 (2021年9月28日). 2025年1月3日閲覧。
  6. ^ 都市計画図(横手地域)”. 横手市 (2024年3月29日). 2025年1月3日閲覧。
  7. ^ a b 横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ”. G空間情報センター. 一般社団法人社会基盤情報流通推進協議会 (2024年10月5日). 2025年3月25日閲覧。
  8. ^ a b 秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット”. デジタル庁 (2024年7月5日). 2025年1月14日閲覧。
  9. ^ a b 横手市総務企画部情報政策課情報政策係: “横手市の行政区”. オープンデータ. 横手市 (2022年5月24日). 2025年3月25日閲覧。
  10. ^ 横手市 2010, pp. 724–725.
  11. ^ a b c d e f 平凡社 1980, p. 238.
  12. ^ 横手市 2010, p. 725.
  13. ^ a b 秋田県教育委員会 1981, p. 326.
  14. ^ a b 横手郷土史研究会 1969, pp. 64–65.
  15. ^ 横手市史編さん 1981, p. 29.
  16. ^ 横手市史編さん 1981, p. 365.
  17. ^ 横手郷土史研究会 1969, pp. 62.
  18. ^ a b 角川日本地名大辞典編纂 1980, p. 166.
  19. ^ a b 秋田県教育委員会 1981, p. 80.
  20. ^ 秋田県教育委員会 1981, p. 81.
  21. ^ a b c 横手市史編さん 1981, p. 181.
  22. ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 787.
  23. ^ a b 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2025年7月24日閲覧。
  24. ^ a b 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2025年7月24日閲覧。
  25. ^ a b 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2025年7月24日閲覧。
  26. ^ a b 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2025年7月24日閲覧。
  27. ^ a b 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2025年7月24日閲覧。
  28. ^ 横手市立小中学校通学区域に関する規則”. 横手市. 2022年3月24日閲覧。
  29. ^ 横手市史編さん 1981, p. 489.
  30. ^ a b c 榮神社”. 秋田県神社庁. 2025年7月29日閲覧。
  31. ^ 横手市史編さん 1981, pp. 489–490.
  32. ^ a b c d e f g h i 横手市史編さん 1981, p. 514.
  33. ^ 白梅保育園について”. 社会福祉法人白梅保育園. 2025年7月29日閲覧。
  34. ^ 横手栄郵便局 (秋田県)”. 日本郵便. 2025年7月29日閲覧。
  35. ^ 横手市横手総合交流促進施設設置条例”. 横手市 (2025年7月29日). 2025年6月19日閲覧。

参考文献

外部リンク



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