下境_(横手市)とは? わかりやすく解説

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下境 (横手市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/02 06:49 UTC 版)

日本 > 秋田県 > 横手市 > 下境 (横手市)
下境
大字
北緯39度20分47.4秒 東経140度30分56.6秒 / 北緯39.346500度 東経140.515722度 / 39.346500; 140.515722座標: 北緯39度20分47.4秒 東経140度30分56.6秒 / 北緯39.346500度 東経140.515722度 / 39.346500; 140.515722
座標位置:中心点
日本
都道府県  秋田県
市町村 横手市
地域 横手地域
人口情報2020年10月1日現在[1]
 人口 445 人
 世帯数 154 世帯
設置日 1951年4月1日[2]
郵便番号 013-0824[3]
市外局番 182[4]
ナンバープレート 秋田
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 秋田県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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下境(しもざかい)は、秋田県横手市大字郵便番号は013-0824[3]。人口は445人、世帯数は154世帯(2020年10月1日現在)[1]。旧平鹿郡境町村大字下境、旧平鹿郡下境村に相当する。

地理

横手市の北部、横手地域の北端に位置しており、東で上境、西で黒川百万刈、南で下八丁、北で仙北郡美郷町金沢西根と隣接する。西境を大戸川が北に流れ、北東部では横手川が北西に流れる[2]。横手川と並行して県道71号大曲横手線が通っており、南東端の中心集落である関合を通って南北に通る県道267号金沢吉田柳田線は、馬場(板小屋)で進路を変え西側に向かう[2]。水田中心の準農村地帯であり、北部に馬場・荒田・八気・目名川・碑巻、中央部に日向・太郎小屋・中村・根田川、南部に関合・三ツ栗・庚塚の集落が分散的に存在する[2]

全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[5]都市計画法上の用途地域には指定されていない[6]

地名の由来

菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』によれば、「下境」という地名は、上境に対応するものであり、「境」は境界を意味するとされる[7]。これは、平鹿郡仙北郡との境界に位置していたことに由来する[7]

小字

2024年令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ[8]デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット[9]、横手市公表のオープンデータ[10]によれば、下境の小字は以下の通りである。

町・字 出典
大字 小字 登記[8] 町字マスター[9] 行政区一覧[10]
下境 字荒田
字一本木
字栄川原 ×
字押切
字下三ツ栗
字関合
字関合村西
字関合南町
字貴船 ×
字権兵衛 ×
字向大島
字庚塚
字根田川
字三ツ栗
字上三ツ栗
字西大島
字斉藤小屋
字千本野
字川熊 ×
字川原
字太郎小屋
字大橋脇
字大島
字中村 ×
字田中
字日向
字馬場
字八気
字八気南町
字八百刈
字板小屋
字福蔵谷地
字北大屋敷
字目名川
字下境西 ×
字稗巻

歴史

正保4年(1647年)の『出羽国知行高目録 下』では、境村として上境村と下境村が総称されている[11]享保年間までの村高を記録した郷帳をもとに町名を調べた『平鹿郡御黒印吟味覚書』においても、当初は境村として記載されており、その後、上境村から下境村が分離したように記載されている[11]。享保15年(1730年)の『六郡郡邑記』によれば、下境村とは18の支郷の総称で、八掛村(家数2軒)、桜町村(同2軒)、押切(同7軒)、新田屋(同6軒)、馬場村(同5軒)、板杭村(同5軒)、長沼村(同2軒)、日向村(同3軒)、三ツ栗村(同11軒)、大島村(同1軒)、中村(同6軒)、大屋敷村(同3軒)、太郎小屋村(同1軒)、目那川村(同2軒)、碑巻村(同3軒)、根田川村(同13軒)、堰合村(同6軒)がある[12]菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』では、下境村を親郷とする10村の寄郷を記述しているように、文化9年(1812年)から田村に代わって大戸川沿いに位置する村々の中心となる村になった[12]。また、江戸期における秋田を代表する開拓者である高橋武左衛門が居住していたことなどについても記載されている[12]。享保15年には80軒あった下境村は、延享4年以降の水害や冷害などによって、宝暦4年(1754年)にはわずか17軒となり、これを復興すべく武左衛門が村の開墾に従事[13]。下境村のほか、石成村(現・横手市平鹿町醍醐)や、河辺郡四ツ小屋村(現・秋田市四ツ小屋)の開墾にも従事した[13]

北部の下境字千本野には、西野館と称される中世の城館跡がある。小野寺氏の家臣・西野修理亮道俊が城主であったと伝えられている[14]。道俊は天正14年(1586年)の有屋峠合戦や、翌15年頃の唐松山合戦における勇戦で知られ、またその子・憲道も慶長5年(1600年)の大森合戦に出陣している[14]。郭とされる区画は、東西約70m、南北約90mの広さがあり、段丘の地形が残っているものの、土塁や堀といった遺構は戦後に消失しており、現在では確認できない[14]

沿革

世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
下境 154世帯 445人

人口・世帯数の推移

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。

下境の人口推移
人口
1995年(平成7年)[22]
725
2000年(平成12年)[23]
661
2005年(平成17年)[24]
614
2010年(平成22年)[25]
529
2015年(平成27年)[26]
486
2020年(令和2年)[1]
445

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。

下境の世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[22]
160
2000年(平成12年)[23]
159
2005年(平成17年)[24]
163
2010年(平成22年)[25]
162
2015年(平成27年)[26]
161
2020年(令和2年)[1]
154

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[27]

番地 小学校 中学校
全域 横手市立横手北小学校 横手市立横手北中学校

交通

鉄道

町内に駅はない。最寄り駅は奥羽本線後三年駅

バス

町内にバス路線及びバス停はない。

2023年9月30日までは羽後交通の角間川線が通っていた[28][29]

道路

施設

参考文献

脚注

  1. ^ a b c d e 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat)”. 総務省統計局 (2020年10月). 2025年6月25日閲覧。
  2. ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂 1980, p. 791.
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2025年6月25日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2022年3月21日閲覧。
  5. ^ 都市計画区域・区域区分(線引き)”. 横手市 (2021年9月28日). 2025年6月19日閲覧。
  6. ^ 都市計画図(横手地域)”. 横手市 (2024年3月29日). 2025年6月19日閲覧。
  7. ^ a b 角川日本地名大辞典編纂 1980, p. 334.
  8. ^ a b 横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ”. G空間情報センター. 一般社団法人社会基盤情報流通推進協議会 (2024年10月5日). 2025年3月25日閲覧。
  9. ^ a b 秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット”. デジタル庁 (2024年7月5日). 2025年1月14日閲覧。
  10. ^ a b 横手市総務企画部情報政策課情報政策係: “横手市の行政区”. オープンデータ. 横手市 (2022年5月24日). 2025年3月25日閲覧。
  11. ^ a b 横手市 2010, p. 701.
  12. ^ a b c 横手市 2010, p. 703.
  13. ^ a b 平凡社 1980, p. 244.
  14. ^ a b c 秋田県教育委員会 1981, p. 330.
  15. ^ 横手市史編さん 1981, p. 367.
  16. ^ 横手市史編さん 1981, p. 36.
  17. ^ a b 角川日本地名大辞典 1979, p. 334.
  18. ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 787.
  19. ^ 総理府告示第977号」『官報』第8472号、大蔵省印刷局、1955年3月31日https://search.kanpoo.jp/r/19550331h8472p540-49/2025年5月21日閲覧 
  20. ^ 平凡社 1980, p. 224.
  21. ^ 横手市史編さん 1981, p. 246.
  22. ^ a b 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2025年6月22日閲覧。
  23. ^ a b 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2025年6月22日閲覧。
  24. ^ a b 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2025年6月22日閲覧。
  25. ^ a b 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2025年6月22日閲覧。
  26. ^ a b 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2025年6月22日閲覧。
  27. ^ 横手市立小中学校通学区域に関する規則”. 横手市. 2022年3月23日閲覧。
  28. ^ 秋田県内の16バス路線、30日に廃止 過去10年で最多」『秋田魁新報』2023年9月29日。オリジナルの2023年9月29日時点におけるアーカイブ。2025年3月7日閲覧。
  29. ^ 角間川線の廃止について(重要)” (PDF). 羽後交通株式会社 (2023年8月29日). 2023年8月30日閲覧。
  30. ^ a b c d e f 横手市史編さん 1981, p. 491.
  31. ^ a b c d e f 貴船神社”. 秋田県神社庁. 2025年6月28日閲覧。
  32. ^ 横手市史編さん 1981, p. 515.

関連項目

外部リンク




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