金沢本町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/20 10:26 UTC 版)
金沢本町 | |
---|---|
大字 | |
北緯39度22分42秒 東経140度34分26秒 / 北緯39.3784度 東経140.574度座標: 北緯39度22分42秒 東経140度34分26秒 / 北緯39.3784度 東経140.574度 | |
座標位置:中心点 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
地域 | 横手地域 |
人口情報(2020年10月1日現在[1]) | |
人口 | 343 人 |
世帯数 | 129 世帯 |
設置日 | 1956年9月30日[2] |
郵便番号 | 013-0812[3] |
市外局番 | 182[4] |
ナンバープレート | 秋田 |
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金沢本町(かねざわもとまち)は、秋田県横手市の大字。郵便番号013-0812[3]。人口は343人、世帯数は129世帯(2020年10月1日現在)[1]。住居表示は全域で未実施[5]。旧仙北郡金沢町大字金沢本町、旧仙北郡金沢本町村に相当する。
地理
横手市の北端に位置しており、東で金沢、南で金沢中野、北で仙北郡美郷町金沢と隣接する。北を中ノ目川、南端部を厨川が西流し、中央部を国道13号の旧道が南北に縦貫しており、沿線に住宅や商店が密集する[2]。戦国時代には、城館が現在の金沢公園を中心とする山上に築かれ、その麓に位置する金沢本町は城下町として機能していた。そのため、金沢本町は仙北郡における軍事・政治・経済の一拠点であり、また羽州街道上に設けられた仙北郡南端の駅場でもあったことから、金沢地区の中心地として発展した[6]。本町・立石・菊水・川目・荒町の各集落で構成される[2]。
全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[7]。都市計画法上の用途地域には指定されていない[8]。
小字
2024年(令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ」[9]、デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット」[10]、横手市公表のオープンデータ[11]によれば、金沢本町の小字は以下の通りである。
町・字 | 出典 | |||
---|---|---|---|---|
大字 | 小字 | 登記[9] | 町字マスター[10] | 行政区一覧[11] |
金沢本町 | 字荒町 | ○ | ○ | ○ |
字根小屋 | ○ | ○ | ○ | |
字川目 | ○ | ○ | ○ | |
字田町 | ○ | ○ | ○ | |
字本町 | ○ | ○ | ○ | |
字立石 | ○ | ○ | ○ |
歴史
正保4年(1647年)の『出羽国知行高目録 下』によれば、金沢村として記載があるが、これに対応する『出羽一国御絵図』には金沢村は金沢前郷、金沢中野村は前郷ノ内中野村とあり、この時点で村名がどの程度の範囲を指しているのかは不明確である[6]。享保15年(1730年)の『六郡御黒印村附帳』で当高70石4斗4升2合の金沢本町村と見えるのが初見史料で、同年の六郡郡邑記でも村名が見える[12]。
沿革
- 1873年(明治6年)2月 - 秋田県第5大区小7区に属する[13]。
- 1881年(明治14年)4月16日 - 金沢本町郵便局(現・羽後金沢郵便局)が開局[14]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、金沢村・金沢本町村・金沢中野村・安本村・野荒町村が合併し、金沢村となる[15]。金沢本町村は金沢村大字金沢本町となる[16]。
- 1897年(明治30年) - 町制施行して金沢町となる[17]。金沢町大字金沢本町となる[16]。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 金沢町が横手市に編入。横手市金沢本町となる[16]。
- 1972年(昭和47年)12月15日 - 老朽化していた横手市役所金沢支所(旧金沢町役場、字本町27番地)が、同地で建て替え金沢公民館となる[18]。支所は公民館に併置[18]。
- 2017年(平成29年)3月 - 金沢公民館が、金沢中野の旧金沢小学校に移転し「金沢孔城館」として開館[19]。
世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 小字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|---|
金沢本町 | 字田町 | 28世帯 | 81人 |
字荒町 | 11世帯 | 25人 | |
字本町 | 32世帯 | 78人 | |
字根小屋 | 16世帯 | 53人 | |
字立石 | 30世帯 | 73人 | |
字川目 | 12世帯 | 33人 | |
計 | 129世帯 | 343人 |
人口・世帯数の推移
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。2000年と2005年のデータは外れ値となっており、おそらく金沢との合算になっているためここでは省く。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[20] |
751
|
2010年(平成22年)[21] |
477
|
2015年(平成27年)[22] |
413
|
2020年(令和2年)[1] |
343
|
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。人口推移と同じく2000年と2005年のデータは省いている。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[20] |
203
|
2010年(平成22年)[21] |
144
|
2015年(平成27年)[22] |
137
|
2020年(令和2年)[1] |
129
|
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[23]。
小字 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 横手市立横手北小学校 | 横手市立横手北中学校 |
交通
鉄道
バス
- 荒町(横手・大曲線)
- 金沢本町(横手・大曲線)
施設
脚注
- ^ a b c d e “国勢調査 / 令和2年国勢調査 / 小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など) 05:秋田県”. 政府統計の総合窓口(e-Stat). 総務省統計局 (2020年10月). 2025年8月6日閲覧。
- ^ a b c 角川日本地名大辞典編纂 1980, p. 790.
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2022年3月21日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年3月21日閲覧。
- ^ “住居表示”. 横手市 (2021年9月28日). 2025年7月30日閲覧。
- ^ a b 横手市 2010, p. 746.
- ^ “都市計画区域・区域区分(線引き)”. 横手市 (2021年9月28日). 2025年1月3日閲覧。
- ^ “都市計画図(横手地域)”. 横手市 (2024年3月29日). 2025年1月3日閲覧。
- ^ a b “横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ”. G空間情報センター. 一般社団法人社会基盤情報流通推進協議会 (2024年10月5日). 2025年3月25日閲覧。
- ^ a b “秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット”. デジタル庁 (2024年7月5日). 2025年1月14日閲覧。
- ^ a b 横手市総務企画部情報政策課情報政策係: “横手市の行政区”. オープンデータ. 横手市 (2022年5月24日). 2025年3月25日閲覧。
- ^ 平凡社 1980, p. 246.
- ^ 横手市史編さん 1981, p. 43.
- ^ a b c 横手市史編さん 1981, p. 180.
- ^ 横手市史編さん 1981, p. 48.
- ^ a b c 角川日本地名大辞典編纂 1980, p. 209.
- ^ 角川日本地名大辞典編纂 1980, p. 205.
- ^ a b 横手市史編さん 1981, p. 142.
- ^ “【定住促進】横手市のなりたち”. 横手市 (2021年9月28日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ a b “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 05秋田県”. 政府統計の総合窓口(e-Stat). 総務省統計局. 2025年8月4日閲覧。
- ^ a b “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 政府統計の総合窓口(e-Stat). 総務省統計局. 2025年8月4日閲覧。
- ^ a b “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 政府統計の総合窓口(e-Stat). 総務省統計局. 2025年8月4日閲覧。
- ^ “横手市立小中学校通学区域に関する規則”. 横手市. 2022年3月24日閲覧。
- ^ “秋田県横手市金沢本町のバス停一覧”. NAVITIME. 2025年8月6日閲覧。
- ^ a b “羽後金沢郵便局 (秋田県)”. 日本郵便. 2025年8月6日閲覧。
- ^ a b c 横手市史編さん 1981, p. 519.
- ^ “木造阿弥陀如来坐像”. 秋田県遺跡地図情報. 遺跡情報. 秋田県教育庁 生涯学習課文化財保護室. 2025年8月6日閲覧。
- ^ a b c 横手市史編さん 1981, p. 520.
参考文献
- 金沢本町のページへのリンク