外交と内政改革とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 外交と内政改革の意味・解説 

外交と内政改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 18:09 UTC 版)

トマス・ウルジー」の記事における「外交と内政改革」の解説

国政細部無関心な王から実務任され外国使節の間で「もう1人国王」と渾名されたが、実際の王は外交・軍事に関して積極的に関与政事を自ら裁可することもあった。かたやウルジーは王の支持だけが基盤のため、彼の意向忠実に汲み取り従うしか無かった。また教皇地位狙い1521年レオ10世死去1523年ハドリアヌス6世死去行われたコンクラーヴェ出馬したとされるが、ローマ教皇庁への連絡疎かだと教皇同輩枢機卿から苦情上がっていたこと、出馬ヘンリー8世の方が積極的でウルジー本人不出馬明言したことなどから否定されている。2度コンクラーヴェ教皇それぞれハドリアヌス6世1522年)、クレメンス7世レオ10世従弟1523年)が選出されたが、後にヘンリー8世離婚問題クレメンス7世決裂することになる。 外交ヨーロッパ諸国調停者となることでイングランド国際的地位高めることを画策そうした意図1518年ロンドン条約英語版)を諸国との間で締結した初めフランス王フランソワ1世ヘンリー8世との和睦になるはずだった話を、オスマン帝国対す十字軍結成教皇レオ10世呼びかけたことを利用教皇特使地位活用してキリスト教諸国団結目的にした同盟纏め批准国20か国にもおよぶ平和条約へと規模拡大させたのであるセント・ポール大聖堂各国大使一堂会したイングランド首都ロンドン一時的ながら脚光を浴び、ウルジーは主君ヘンリー8世国際的地位上げて得意の絶頂浸る一方でフランス60クラウントゥルネー返す実利獲得している。1519年神聖ローマ皇帝選挙ヘンリー8世出馬決意させたが当選はならずハプスブルク家スペイン王カルロス1世皇帝カール5世選出イングランド栄光から一転してスペイン神聖ローマ帝国治めハプスブルク家フランスの間で翻弄されることになる。 1521年フランスの侵攻第三次イタリア戦争勃発するロンドン条約主導した立場フランス・スペイン調停当たった失敗直接会見したカール5世からフランスへ共同出兵要求され出兵2年後1523年引き延ばすことを条件に受けるしか無かった1523年イングランド軍は北フランス攻めた戦果無く1525年パヴィアの戦いスペイン神聖ローマ帝国連合軍フランソワ1世捕らえ大勝利飾り、翌1526年マドリード条約カール5世覇権確立されつつある中、イングランド戦争で何も得られず、ウルジーはヘンリー8世共々軍資金窮乏苦しみ1524年イングランドへ臨時税(強制借用金)をかけようとして国内猛反発撤回する有様だった。マドリード条約によるスペイン強大化に警戒皇帝勢力弱めようと一転してフランス和睦教皇クレメンス7世ヴェネツィアイタリア諸国フランスコニャック同盟結んでコニャック同盟戦争始まったが、1527年ローマ劫掠クレメンス7世カール5世影響下に置かれ1529年カンブレーの和約によるフランス・スペイン和睦コニャック同盟戦争カール5世勝利和睦無視されイングランド孤立しウルジーの外交政策暗礁に乗り上げてしまった。 内政では巨額戦費賄うため新税の徴収図り1513年遠征費用十分の一税併用した特別税を考案し徴収した戦費には足りず1524年強制借用金の徴収撤回など財政苦慮した一方で司法改革社会問題手掛け国王裁判権強化大法官裁判所英語版)の発達星室庁強化1517年から2年かけて囲い込み実態調査および取り締まり行い地主たちを法廷召喚し囲い込んだ土地について問い質した(その中には囲い込み批判者トマス・モアもおり、囲い込んだ疑いがある土地耕作地戻し家屋再建した釈明したという)。教会改革実行して30ほどの小修道院解散行い、そこから得られ資産母校オックスフォード大学故郷イプスウィッチカレッジ設立考えオックスフォード大学にカーディナル・カレッジ(後のクライスト・チャーチ)を創設したが、教会改革中途半端に終わり自身多く聖職禄抱え豪奢な生活を送り聖職者悪弊象徴体現していたため人々の反聖職者感情刺激した。かたや後にヘンリー8世統治下のイングランド政治支えたトマス・クロムウェル抜擢し1516年から召し抱え、小修道院調査委員任じて解散実務およびカーディナル・カレッジとイプスウィッチグラマースクール管理に当たらせた。クロムウェルはウルジー失脚後彼に代わる王の側近となり、ウルジーの小修道院解散より規模拡大した修道院解散などに辣腕振るうことになる。

※この「外交と内政改革」の解説は、「トマス・ウルジー」の解説の一部です。
「外交と内政改革」を含む「トマス・ウルジー」の記事については、「トマス・ウルジー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「外交と内政改革」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「外交と内政改革」の関連用語

外交と内政改革のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



外交と内政改革のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのトマス・ウルジー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS